現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

『大病人』『仁義なき戦い』と養老孟司氏の文章

朝のうちは濃い霧。午後からみぞれまじりの雨。ときに雪。とにかく寒い。


伊丹十三大病人』を観る。ガンとか死とか安楽死とか、テーマが重いので、エンターテイメントの映画として、もう一つなじんでいないか。
深作欣二仁義なき戦い』を観る。テンポが速くてなかなかおもしろいけれど、ちょっと深みに欠けるか。でもなんだか若くて元気な俳優たちが暴れ回っているという感じ。金子信雄演じる山守組の組長がおもしろいなぁ。金子信雄といえば僕には料理の人の方が印象が強いのだけれど、まだ黒い毛がふさふさとしていて、老獪なヤクザの親分をやっています。

日本農業新聞のコラムに養老孟司氏が「一次産業の立場 経済だけで考えるな」という文章を寄せていた。以下その要約。


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現代社会では、農林業など一次産業をめぐる問題は、国内総生産(GDP)に対する寄与率から発すると考えていい。それがごく小さいのに、農業は重要だと考えられるから、議論が難しい。つまり、農業は経済的には重要ではないが、他の面では重要なのである。そこを上手に交通整理する議論がやりにくい。今はどうしてお金中心の世の中だからである。


我が国の食料自給率は4割。それがよく問題になる。でも、これはカロリーベースで表すからで、金額ベースならおそらく自給率は7割近くになる。つまり、もので考えるか、お金で考えるか、その違いがここでも出てしまう。議論の際に自分に都合のいい数字を選んでしまうと、部外者には誤解が生じる。
お金で考えるなら、一次産業の重みはごく小さい。極端にいえば、考えなくたって大過ない。変な例だが、日本農業新聞日本経済新聞と、毎日どれだけの人がどちらを読むかと考えたら話は明らかだろう。
しかも、農業の専従者は農業人口の1割程度といわれる。つまり、兼業が大多数を占める。兼業農家の収入における農業と兼業の割合を調べたら、先のカロリーベースと金額ベースに似た違いが出るのではないか。
私は小学校の時から虫を集めている。今はゾウムシの分類に凝って、新種に名前を付けたりしている。こういうことは本来は専門の分類学者の仕事だから、それに素人が口を出していることになる。でも、こうした分野はいくらでもやることがあるから、いわばひとりでにそうなってしまう。さらにこの仕事には経済上の報酬がない。GDPへの寄与はゼロである。なぜ突然虫の話かというと、虫ほど極端ではないが、1次産業にも似た面があると思うからである。
もちろん農は国の基、虫取りみたいな趣味ではない。なくてはならない仕事である。でも私の人生だけを考えたら、実は虫が中心である。お金は二の次、三の次、でもそれでは暮していけない。だから他で稼いで、虫につぎ込む。


農業でいうなら、他の産業でお金を稼いででも、農業を続けていく。そういう考えもあるはずである。兼業農家の率を考えると、ある程度だが事実はそうなっているのではないか。単に楽がしたいだけではないだろう。私はそう考えている。
問題はそれでいいのかどうか、そこであろう。自然を相手にする仕事は、一本立てのみではむしろ駄目。それが私の結論。専従だけなら多くの農家がもはや立ちいかないし、そうかといって、すべて兼業というわけにもいかない。要は両者の釣り合いである。いつの時代でも、上手な釣り合いは難しい。でも、それが「生きていく」ということであろう。そう思いつつ、虫いじりを続けている。
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養老孟司氏の文章はいつものように結論があるようなないような書き方なのだが、問題点はよくわかる示唆に富んだ文章です。専従(専業農家)と兼業農家だけの問題だけではありません。