現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

土鍋で菜の花緑肥の完全無農薬有機栽培米を炊いてみる

彼岸花はまだかいな


23日(木) 秋分の日
午前中は雨。午後は雨もあがって晴れ間も出てきたけれど、空気が入れかわってずいぶん冷んやり。


土鍋で菜の花緑肥の完全無農薬有機栽培米を炊いて食べてみました。ほぼ日の土楽のベア2号がよかったのかもしれませんが、うまかったです。メーカーの炊飯器ではおこげは決してできませんが、土鍋で白米のご飯を炊くときには、ほんのりすこしおこげをつくるのが、コツというか、僕はコツにしていて、ふんわり、つやつやのご飯と同時にほんのり少し香ばしさがいいのです。強火でスタートして、ブクブクしてきたら極弱火にして、で炊き上がるときに土鍋のそばについていて、かすかにチリチリと音がしたら火を消して、10分ほど蒸らす、という感じでしょうか。
お昼に2合炊いたのですが、僕が三杯、母は一杯、ぱくぱくむしゃむしゃとおいしくいただきました。
この夏は暑い夏で、高温障害も出た田んぼもあったので、あれこれ心配していたのですが、これなら大丈夫、とたいへんうれしかったです。
お米やご飯の写真は難しい題材ですけれど、でももうすこし、写真の勉強もしなくてはいけませんなぁ。湯気がうまく写っていないんだなぁ。


BiND4をやっと少し触る時間ができた。ああ、なんか確かに細かいところが改良されていますね。使いやすくしかも少し速くなっているような気もします。


毎年、秋分の日には、突然、あちこちで彼岸花の赤い花が咲いて、びっくりしたり感心したりするのですが、今年は猛暑の影響でしょうか、ほんの少し花の咲く時期が遅れているようです。


24日(金)
終日曇り空。
朝、テレビをつけたら、イチローが10年連続200本安打を達成していた!素晴らしい!!199本目も200本目も、どちらも狙いすましたように打っていますね。うーむ。


午前中は「秋の詩」の籾擦り。思いのほか乳白が多い。「秋の詩」は「コシヒカリ」より基本的に大粒なので、1.9ミリの網でも乳白米があまり落ちてくれないので、色彩選別機の感度をあげて、乳白米をどんどん抜く。うーむ。


午後はあちこち年貢を納めに歩く。


次男の自転車の後輪がパンクしているので直しておいて、と言われていたのだが、チューブを見てみたら、バルブの根もとに大きな裂け目ができていた。やれやれ。これはチューブの寿命です。次男の自転車はオフロードタイプのやつなので、ホームセンターで26×1.75といういささか変わったサイズのチューブを買ってきて交換。後輪なので、ブレーキやら変速機やらスタンドやらあれこれ外さないとチューブの交換ができない。でもそういうものをものともせず、スパナとレンチとで分解して、チューブを交換して、ブレーキやらギアやら調整しながら組立。25分で作業完了。ああ、素人のオッサンとは思えないほどの手際のよさに一人しみじみ自己満足。ほんとはスポークの張りを調整しながらリムのゆがみを直したかったのだが、今回はパスというところ。


ホームセンターで自転車のチューブと一緒に初めてLEDの電球を買った。2階の廊下の電球が切れたのだ。LEDの電球、寿命は約40000時間で白熱電球に比べて40倍、消費電力は1/8という宣伝文句です。その代わり値段はそこそこします。でも東芝やシャープの製品の半額のMaid In ThailandのいささかあやしいかもしれないLED電球にしてみました。さてさて。
夕食をとりながら「LEDの電球の寿命が40000時間ということは・・・階段の下でスイッチを入れ、階段を上がり2階の廊下歩いて、部屋に入りスイッチを切る、これに10秒かかったとして、一日に何回階段と廊下を歩くかわからないけれど、さて、いったい今日買ったあの電球はいつ寿命になるのでしょう?」という話をしてみた。
ぐるぐると目を回すように計算しているふりをしていた次男は「僕、この家にいるかなぁ?」と言った。
さてさて。
1時間は3600秒だから40000時間は144000000秒ということになります。うちは家族も多いし、1日10往復に電球を灯すとして20回。200秒。まあ、急いでいれば5秒で部屋まで行けるけど、消し忘れもあるしね。とりあえず1日200秒で計算すると720000日。1972.6年後ということになります。西暦3982年!!!!誰もあの電球の寿命を見届けられないじゃないか。うん?計算あってる?1世代30年で計算すると65世代後。


「西暦3982年の世の中がどうなっておるか、わしには想像もできんが、わしの子孫よ!子々孫々よ!あの2階の階段を上がったところの廊下の電球をLED電球に取り換えたのはわしだ。それは西暦2010年の記録的に暑い夏がようやく終わりをむかえつつあった9月の下旬のことであった。中秋の満月の頃である。わしは百姓をしておる。わしの父も母も百姓で、しかも息災である。
わしの子孫よ!子々孫々よ!お前らは何を生業にして暮しておるか。家族・親戚・一族みな健やかにしておるか。どんなものを食べて暮しておるのか。わしやわしの父母の耕した田んぼはどうなっておることであろうか。余裕のあるときは大地に種を播け。苦しいときにも種を播け。種を播かねば何事も始まらぬ。
それから人生は三つの要素でできておる。愛と友情と裏切りだ。三つとも大切にしなくてはならぬ。そして名を惜しめ。
健やかに暮しておるか。陽と水と土を大切にせよ。
わしの子孫よ!子々孫々よ!あの2階の階段を上がったところの廊下の電球をLED電球に取り換えたのはわしだ。あの電球にもし寿命がきて取り替えることがあれば、いついっかであったか記録し、それが西暦3982年以前であれば、日本広告審査機構(JARO)を通して文句をいうのがいいジャロ。
よいか、健やかに暮らせ。」