現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

台風一過と稲刈りと岡田武史氏養老孟司氏の対談


台風一過。朝、気温が低く涼しい。風も少し吹いて快適。
終日、稲刈り。今日は台風の影響で倒伏した「コシヒカリ」の稲刈りで、コンバインのスピードが出せない。ゆっくり刈る。
朝、9時から刈りだしたのだが、お昼も母が弁当を詰めて田んぼに持ってきてくれたので、田んぼで食べる。うまい。空も青く、雲は白く。山は近く色鮮やかで、風は頬に心地いいんだから、最高なんだけれど、まだ田んぼの水が完全に引いていないので、慎重に刈らねばならないのでありました。
写真を撮っている余裕はなし


日没まで稲刈り。



昨日撮った完全無農薬有機栽培米「コシヒカリ」の圃場と稲穂。台風のお見舞いメールもいただきうれしかったのですが、無農薬有機栽培の田んぼはたいした被害もなさそうですので、23年産もおいしくて安全なお米をみなさんに食べていただけそうです。収穫は中旬頃の予定。


9月1日付の朝日新聞岡田武史前代表監督と養老孟司氏の対談が載っていた。以下、その要約。

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岡田 今も虫取りに行かれるんですか。
養老 虫を観ると自然の状況がわかる。古い昔からの歴史を引きずっている。例えば、本州がばらばらの島になっていた時の状態をそのまま残している虫がいて、糸魚川静岡構造線を渡らず西にしかいない。
岡田 自然の流れがわかるのはすごい。学生時代に環境問題に興味を持ってNPOに入ったり、2002年環境サミットに行ったり。震災が起きて、石原慎太郎さんではないけれど、人間の傲慢さがあったのかと感じる。いかがですか。
養老 今の人は高慢だとよく書いている。自然について全然わかっていないのに、わかっていると思っている。山の木にしても、どういうルールで生えているか一切考えていない。日本で一番きれいな風景は四国の新緑。西日本は木の種類が多く、世界でも珍しい。四国の原生林、自然林は万華鏡みたい。さまざまな木が互い違いになっている。なぜそんなモザイクになるのか、多彩な色になるのか。
岡田 広葉樹が入っているからですね。
養老 針葉樹も入ってる。こんなきれいなものがでたらめに配置されているわけがない。この木とこの木が隣り合っていないと具合が悪いとか、全部総合した答えでああなった。でも、人はたまたま生えていると思っている。
岡田 長い年月をかけて適者生存というか、最高の組合せになっていると。
養老 一番簡単のは木の葉。太陽は動いていくから、一日に一本の木が最大の日光を受けるには葉っぱをどう並べたらいいかという問題を解いている。自然のルールは何かを解いてここまできている。四国の山の中の木がどういう問題を解いてあの位置に生えているかを、人は考えないで木を切る。傲慢というか無知でしょう。
岡田 確かに震災のあとに思ったのは、本質を観ざるを得なくなったということ。「こんな豊かな生活が続けられるのか」「人口爆発していて大丈夫なのか」とみんな気づいていたのに、「そうは言っても」と見ないふりをしていた。
養老 そういう意味でどうしようもないと思っていた。石油が切れたら正気にもどらざるを得ないと。石油がなければ、原発だって出来ない。そうなれば、ひとりでに変わると思っていたら、地震がきた。
岡田 人間は切羽詰まらないと駄目。中東の革命も小麦粉が高騰して食えない人が出てきたことも一因。日本人はあの震災でもまだ切羽詰まっていない印象がある。それは石油がなくなる時かもしれない。
養老 石油がなくなるというとみんな心配するけれど逆。僕らは石油ゼロの時に育ち、いい時代だった。なぜかって、エネルギーがないと、人がした仕事を見るようになる。人の価値が非常に高くなる。今は人の価値が安いですもの。
岡田 エネルギーがあると、機械が日との代わりに仕事をしてしまう。
養老 原発作業も危ないからロボットにやらせようとする。人間の価値はほとんどない。
岡田 なるほど。
養老 だから僕らが育った時代は案外、人の価値が高かった。人がした仕事とエネルギーがした仕事を無意識に分けていた。経済成長とエネルギー消費は比例しているから、金がもうかるということはエネルギーに依存しているということ。金を使ってやった仕事は、その人がやった仕事なのか。でも今の日本ではそう評価される。それを逆に戻さないと。
岡田 金融市場がそう。お金があらたなお金を生み出す。労働価値論を言うつもりはないけれど、人が何かしらしないと。それだけでお金が入ってくるのはおかしい。
養老 岡田さんみたいに身体を使った人はよく知っている。身体を使わないで仕事ができる状況は幸せでないと。ある時期は幸せかもしれないけれど、一生通じて見た時に、やはりどこかにまずいことが起きてくる。
■ 養老さんは震災で価値観や人生観が変わりましたか。
養老 何も変わらない。前から地震が来るといっていた。石油もいつか切れると。事故を起すとは思っていなかったが、原発もどうするのかと。処分できていないのに、どんどんゴミを出している。長い時間でみれば、必ずアウトになる。どうしてそんなバカなことをするんだろうと。
岡田 地球上にないものを作り出し、処分できないプルトニウムを作り出しておいて、子どもたちの時代に何とかしろ、考えろ、というのか。
養老 見切り発車したわけです。やっていくうちに科学が進めばなんとかなると。ところが、科学が頭打ちになった。
岡田 地球の大きさを直径1メートルとすると、大気の層の対流圏は1ミリ。この薄い中のものは減りもしない増えもしない。水も空気も循環するだけ。環境問題ではこの循環がキーワードになる気がしていた。
養老 そこから考えるべきで、環境という言葉を使わないほうがいいんじゃないか。「環境」はどうして出来たかを考えると、「自分をたてた」から。自分を区切ると、自分の外に環境がある。昔の人はそう思っていなかった。死ねば土にかえると。今の学生に田んぼは将来の君だとっても通じない。田に稲が育って米がとれて食べると体になる。だから、田んぼは自分の一部。大気も同じで、なければ即座に死んでしまうものは自分じゃないのか。大気は環境で自分ではないとどうして言えるのか。
岡田 人類と地球とを分けているうちはダメ。人間と自然を分けているうちは。人間は自分のことでないと必死になれない。
養老 自分を立てるというのは、脳みそがやっている一種の勝手な区分です。私というのは意識がないとない。脳科学ではその位置がかなりわかってきた。それは空間を把握しているところ。サッカーは典型ですね。
岡田 ピッチ全体をイメージしますから。
養老 自分がどこにいるかということです。つまり、案内図で一番困るのは現在地が入っていない時。
岡田 地図があっても、現在地がないとわからない。
養老 だから脳の空間定位の領野に私の定義、つまり現在地が入っている。地図の矢印(↓)が自分です。そこに環境問題がある。人間は↓をつけてこれが俺だとやって、その中は無意識にエコひいきする。子どもが妙な質問をするでしょう。口の中にあるつばはきたなくないのに、外に出すとどうして汚くなるの、と。自分の境を越えて外に出た途端に、プラスだった分だけマイナスになる。
岡田 それが自我ですね。宗教でいう悟りというのは、↓がとれた状態になると。
養老 自分なんて案内板の↓がとれた状態だと考えたら楽でしょう。自分は案内板の一部だと考えておけば、あまり過大評価も過小評価もせずにすむ。
岡田 おもしろい。みんながてこずっている自我というのは、地図の中のほんの↓なわけですね。
養老 そういうとある程度納得できますよね。
岡田 ピンときます。養老さんは今の官僚制や政治に絶望していると書かれていますけれど、どうしたらいいんですか。
養老 どうしようもない一番思うのは石油が切れたら、ということ。
■ そこに行き着くわけですか。
岡田 生物は増え過ぎたら必ず淘汰される。人口70億に届こうとしているから、その時に初めて動き出す。産経省の官僚だって自分の子供がいて、家族がいて、原発はやりたくないという人もいるだろうけど、そうは言ってもと言っている。でも、もう言えなくなってしまえばいい。その日がいつか来るのでしょうね。
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人がした仕事とエネルギーがした仕事。こういうことよく感じるのです。うーむ。