現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

またしても春の雪と「経済成長という魔物」


今朝起きると、積雪でビックリ。田んぼや道路には2cmほども。
9時過ぎには雪も止み陽も射してきたので、一気にとけてしまいましたが。この春はほんとうにいつまでも寒いです。
明日は移動性の高気圧に覆われるという予報だが。暖かくなってほしい。


画像の左側は今朝の僕の長靴の足跡。はっきりくっきりうつっております。右の鳥の足跡も、妙にはっきりくっきり写っておるので、ナニ奴?と考えておるのですが、ひょっとしてケリ?あのうるさくケリケリケリケリと鳴くケリですかね?


種籾の浸種だが、今日で4日目。でも水温は昨日も今日も5℃ほどでした。例年なら10℃くらいはあるのですが。
だいたい積算温度が100℃を目安にするとよい、とものの本には書かれています。10℃なら10日で100℃になるというように計算します。5℃だと・・・。浸種は種籾に発芽の準備をさせるためのものです。もともと僕は発芽がきれいに揃うように浸種の期間を長めに、芽出しの温度を低めにしています。じっくりゆっくり発芽させる感じ。播種の後すぐに苗代に並べてしまうので、催芽の温度が高いと種籾に不自然なストレスを与えてしまうような気がするのです。
天気や気温のことは、百姓にはどうしようもないので、じっくり種籾の様子をみてやるしかないですね。


今朝の日本農業新聞に「経済成長という魔物」というタイトルで宇根豊氏が文章を寄せておられる。以下、その要約。

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私たちは首相を先頭にして、経済成長という魔物に取りつかれているのではないか。それもここ100年あまりのことにすぎない。そこで「農業には経済成長は必要ない」ときっぱり宣言しておきたい。こう言うと、必ず「国が没落してもいいのか」「貧乏に甘んじろと言うのか」という反応が返ってくる。先進国の人間の言い草の典型だ。
経済学者の多くが「資本主義は経済成長がないと破綻する」と言い張っている。それ以外の道を思い描けなくなった学の限界だろう。かつては経済学だって、すべてを市場経済に任せていいとは考えていなかった。アダム・スミスだって、交換価値(経済価値)よりも使用価値の方が実質なのに、そういう経済学の不在を嘆いていたくらいだ。
百姓なら誰でも、農業に経済成長を求める方が異常だと実感している。なぜなら農業とは自然の恵みを、百姓仕事を通じて、毎年繰り返して、安定して変わらずに、持続的にいつまでも、引き出すことだからだ。
本来、進歩や成長や変化とは無縁であり、金儲けや投機とは対極にある。その自然の中心には、作物とそれに寄り添う生き物たちがいる。その生き物たちの生にも、経済成長や生産性を求めたのが、農業の近代化だった。その延長に環太平洋連携協定(TPP)なるものへの参加がある。
今年の1月に公表された農水省生物多様性戦略には、三原則が唱われている。
1.農業は生物多様性を生み出している。
2.同時に農業は生物多様性に支えられている。
3.したがって農業は生物多様性を守らなければならない。
歯切れのいい覚悟である。
しかし、この戦略を実現するためには、農業は経済成長を拒否しなければならない。人間と自然の生き物との関係を市場経済から隔離して別の政策で支えなければならない。戸別所得補償政策はその位置づけに失敗している。百姓の所得が低いから補填するのではなく、市場経済になじまない世界だからこそ、その対価を国民の税金から払う、とどうして説明しないのだろうか。生物多様性を守る環境支払いを、どうして本格的に国民に提案しないのだろうか。
このまま経済成長を続けることばかりしか考えないなら、資本主義自体が崩壊するのではないか。なぜなら農の母体である生き物の生の循環・安定・持続が途絶するからである。この危機が見えないのが、市場経済の最大の欠陥なのだから、百姓は経済的な危機ではなく、非経済の危機を持ち出さなくてはならない。
あらためて言いたい。これ以上の経済成長は不要どころか危険だ。だからこそ、農業を市場経済から外して守る社会をみんなで構想したい。生産や所得が増えなくても、村や自然が変わらずに続いて行くことの方が大切ではないか。今年も春を待つ野辺の生き物たちは悲壮な表情でそう言っている。
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経済というのはもちろん大事だけれど、経済だけで世の中動いているわけではない、ということにあらためて思い至ります。


一昨日の朝、ウグイスの初音を聴いた。まだ下手な鳴きようでしたが。今朝は鉛色の雲でどこにいるのかわかりませんでしたが、雪模様の空の下ヒバリが囀っておりました。ヒバリも今朝の雪にはビックリしていたことでしょう(笑)。