現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

立秋と“I was born”


7日(火) 立秋
朝のうちと夕方、太陽が傾いている時に畦畔の草刈り。
だいぶ稲穂もしっかりしてきて、すこし曲がってきたか。
夕方から日没過ぎて、あたりが暗くなるまで草刈りをしていたのだが、夏の夕風に吹かれながらの仕事はとても気持ちよかった。太陽が沈んでから、西の空や雲が赤く染まって、まただんだん青黒い闇に沈んでいくさまを見ながらの草刈り。


8日(水)
今日はなんとなく暑さもましになったような気がする。風もあるし、風が乾いている気がする。
朝のうちに畦畔の草刈り。はい。がんばりました。自走式の畦畔草刈機がわりといい仕事をしてくれるので、効率がぐっとあがった。


日高敏隆『ぼくの生物学講義 人間を知る手がかり』(昭和堂)読了。面白かったです。楽しめました。初読なのか、再読なのかは、終に判らず(笑)。内容は最後の講義録のような体裁になっているので、今までに読んできた日高先生の本の中に何度も出てきた話だったりするので、そういう意味の新鮮さはないですが、最後まで楽しく読めます。『日高敏隆選集』はまたいつか再読してみたい本ではあるのですが・・・。
そう言えば何年か前、『日高敏隆選集』を全部読んだ後、老眼鏡が必要な時が来たら、森鴎外坂口安吾中島敦開高健村上春樹藤沢周平日高敏隆と・・・、まあそのあたりの作家の本を繰り返し、繰り返し読みたい、みたいなことをブログに書いた覚えがあります。老眼鏡が必要な年頃になったわけですが・・・。


朝の草刈りはどういうわけか蚊やブヨにやられやすい。日没の頃の草刈りはカゲロウが飛んでいたりする。先日、カゲロウの写真を載せたので、今回はないけれど、カゲロウというと吉野弘の「I was born」を思い出す。


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       I was born          吉野弘


確か 英語を習い始めて間もない頃だ。


或る夏の宵。父と一緒に寺の境内を歩いて行くと 青い夕靄の奥から浮き出るように、白い女がこちらへやってくる。物憂げに ゆっくりと。


女は身重らしかった。父に気兼ねをしながらも僕は女の腹から眼を離さなかった。頭を下にした胎児の 柔軟なうごめきを 腹のあたりに連想し それがやがて 世に生まれ出ることの不思議に打たれていた。


女は行き過ぎた。


少年の思いは飛躍しやすい。その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受け身>である訳を ふと諒解した。僕は興奮して父に語りかけた。


―やっぱり I was born なんだね―
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―I was born さ。受け身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね―
その時 どんな驚きで 父は息子の言葉を聞いたか。僕の表情が単に無邪気として父の眼にうつり得たか。それを察するには 僕はまだ余りに幼かった。僕にとってこの事は文法上の単純な発見にすぎなかったのだから。


父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
―蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体何の為に世の中へ出てくるのかと そんなことがひどく気になった頃があってね―
僕は父を見た。父は続けた。
―友人にその話をしたら 或る日、これが蜉蝣の雌だといって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く退化して食物をとるのに適しない。胃の腑を開いても 入っているのは空気ばかり。見ると、その通りなんだ。ところが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっそりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目まぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとまで こみあげているように見えるのだ。つめたい 光の粒々だったね。私が友人の方を振り向いて<卵>というと 彼も肯いて答えた。<せつなげだね。>そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは―。


父の話のそれからあとは もう覚えていない。ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
―ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体―。


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原因があって結果があるとか、因果応報というか、自業自得というか、世の中のことは、たいていそういうことになっているが、そうでないこともたくさんある。
たとえば。
生まれる、ということ。確かに受身形で与えられた生を、ある時、いつからか、自分の生を自分で引き受けていきていかなければならないわけなんだが、そういういささか理不尽なことを、この詩は、すっと理解させられるような気がする。吉野弘は理屈を書いていない。たぶん理屈をつけられる問題でもないし、でも読むと、すっと心に落ちるような気がする。やっぱりすぐれた詩なんですな。詩とはそういうものですわな。


巷で話題の中島さち子『人生を変える「数学」そして「音楽」』(講談社)を読みはじめる。面白そうなんだけれど、でも、あれだな、これは昼寝本には向かないかも(笑)。文章というか(タイトルも含めて)文体のテンションがいささか高すぎるのかな。