現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

同じ夜に


8日(水)
午前中は、お米の精米など。
午後は書類の整理。


9日(木)
もう木曜なのか。はやい・・・。
午前中は書類を作って、地主さんのハンコを貰って農協へ提出。
午後も事務仕事


10日(金) 
朝から雪がちらつき、夜には二三センチの積雪。
午前中は、父の送り迎え。
午後は農協で融資の面談に持っていく書類の準備と面談。


しかし、『人間臨終図巻』はなんだな、面白すぎて、なかなか一度には読めないな。今日もちょっとした時間を見つけて読んだりしていたのだが、高見順の項とか、読み終わったら、なんだか、ふー、となってしまって、もう次がすぐに読めなくなってしまいますね。ま、それは高見順の臨終という一個人の臨終を超える何か、人の死というものを、自分の死(つまりは自分の生)というものを通して考えてしまうからなんだろうけれど。いやはや。


今朝(10日)の日本農業新聞のコラム。
JA全中主催の「ごはん・お米とわたし」作文・図画コンクールの入賞作品が終面の「JA広報」に載っている。食べ物やふるさとを愛する気持ちがひしひしと伝わってくる▼作文を読み、絵を見ながら、昨年の安倍首相の演説を思い出す。「日本は瑞穂(みずほ)の国です。息を飲むほど美しい棚田の風景、伝統ある文化。若者たちが、こうした美しい故郷(ふるさと)を守り、未来に希望を持てる強い農業を創ってまいります」。どうも演説がすとんと胸に落ちなかったが、そのもやもやが今消えた▼作文で総理大臣賞を受賞した宮崎県の橋本将憲君は、祖父母が夜通しで棚田へ水引きする労働をいたわり、先人の開田の労苦に思いを致す。昼、棚田を見れば、息をのむほど美しいだろうが、真夜中、黙々として田んぼで働く人たちがいてこそなのだ▼でも子どもたちは知っている。美しいふるさとや文化を誰が守り、担っているのか。強い農業を志向する人たちではなく、ご先祖様の気持ちを思い、生き物を大事にする心優しい人たちであることを▼佐賀県の中野百合香さんはテーマに合った風景を探し、各地を回ったという。そして行き当たったのは田植え機を操作しているおじいさんだった。素晴らしい田園を営々として守ってくれる人たちを見事に切り取ってくれた。


確かに、内閣総理大臣賞を受賞した小学六年生の橋本くんの作文を読むと、総理大臣の演説の言葉の薄っぺらさを思わずにはいられません。
僕は中学二年の友田さんの「ご飯と家族のつながり」という作文のお父さんとお母さんの様子が面白くて、とてもいい作文だと思いました。

坂本龍一YouTubeをあれこれ聴いていた。バッハについての坂本龍一  小沼純一 浅田彰の三人による長い話(真夏の夜の偉人たち「教授の愛したバッハ」)や忌野清志郎についてのラジオ番組(坂本龍一が語る忌野清志郎 君が僕を知ってる)とか。

それから先日からペン習字研修センター所長の山下静雨氏の『もっと「きれいな字!が書ける本』(知的生き方文庫)という、身も蓋もないというか、実に率直なタイトルの文庫本を斜め読みしたり、お手本にそって書いてみたりしている。なかなか上手にならない。お手本の字とどこがどう違うのかに気付けない(と書くとお手本と同じように上手に書いているかのように聞こえるが(笑)、そうではなく、自分の字のどこをどう直せばお手本のようになるのかが、わからない、という意味です。)バランスが悪いんだろうな。だいたい字の大きさがそろわない。漢字は少し大きめに、カタカナは小さめになんて書いてはあるんだけど。で、縦書きの場合、字の中心をそろえるのが大切と書いてあるのだが、その字の中心がうまくとれないんだなぁ。まあ、練習あるのみなんだろうけれど。
なんで小学校の時くらいから、こういうことを意識して字を書く、ということをしてこなかったのか。小学校と言わなくても、中学か、高校か、せめて学生の頃にそういう意識があれば、もうちょっと違ったのかもしれないが、・・・。ま、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」などと、ジジむさいことをつぶやいてみる。