現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

2014年の半分が過ぎました。


30日(月) 六月尽
夏越祓(なごし)茅の輪くぐりの話題を、何度もラジオで聴く。2014年も半分終わりましたな。
なんでこんなに時間ははやく経っていくのか。ま、これ以上は言うまい。


大豆の圃場に播種に向けて、除草剤をまく。


葉室燐『蜩の記』なかなかいい感じのスタート。なにがいいって、ヤマモトマサアキ氏の表紙の絵がいい感じ。この障子の静謐感。うちの家の建具ももう紙の障子ではなくて、硝子障子になっています。
それから書き物をする武士の姿勢もスバラシイが、けっこう筆の下の方をもっていますね。細筆とか、とくにそうですが、どのあたりをもって書いていいのか、もうそれさえ、わしにはわからなくなっている。もっと上の方を持って、スラスラサラサラシュルシュルと書いている映像を時代劇で観たような気もするし、どこを持って書こうが、そんなことは関係ないのかもしれないし。


僕はだいたい箸の持ち方がおかしいので、何度も自分で矯正してきているのだが、それでも小さい頃から慣れ親しんできた“鉛筆を持つように2本を持って、一方を中指と人さし指で転がすようにして挟む”持ち方が、一番握りやすい感じがするのだが、日本人の大人として、このままではどうか、と何度も自分で矯正してきた。でも、なかなか直りませんな。
鉛筆も、昔から下の方を強く握ってグリグリと筆圧強く書く方だった。小学校の一年生の時、K先生から、何度か注意されたが、そんなフニャフニャした持ち方で、字が書けまっかっ!と思っていた。だって、線が震えているんだもん。そんな持ち方だから中指のペンダコはすごくはっきりあったのだが、最近はキーボードをバチバチするばかりになって、ペンダコらしいものは消えてしまったかに思えるのだが、その代わり、百姓になってからは、他の指も妙に太くなってしまって、笑える。


そういえば、昔、読んだ誰かの詩に、田舎の百姓が、地方から東京に出てきて、電車に乗った時、吊り革を握っている手をずーっと眺めてみたら、みんな細くて白くて長い指をしていて、自分の指の太さが気になったというような内容の詩を読んだことがある。うーむ。誰の詩だったか。


そういえば、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』に「この手を見てくだされ。ジル様と同じ病じゃ…。あと半年もすれば石と同じになってしまう……。じゃがわしらの姫さまはこの手を好きだとゆうてくれる。働き者のきれいな手だとゆうてくれましたわい。」というセリフがある。何度観ても、気になるセリフであったが、自分が百姓になってからは、いっそう気になるようになった。働き者の手とは・・・。ま、そのうち僕の手もナウシカに「きれいな手」というてもらえる日が来るかもしれん(笑)。精進せねばなるまいな(笑)。ナウシカはいるのか?うちの奥さんは、今のところ、私の手について何も言わないので、いよいよ、精進あるのみである。


話がずいぶん『蜩の記』からずれたような気がするが、多分、そんなにずれていないような気がする。『家日和』からもずれていないような気がする。ま、そういうことですな。手ですわ。“手を忘るな”というどこかの国の諺(?)がありましたな。「あんたの手を観てみなはれ!」私がどこかの禅寺の和尚さんなら、まずそう一喝して、相手をビックリさせることから始めます(笑)。


7月1日(火) 
午前中は田んぼの溝切り。午後は溝切りした田んぼの尻水戸を切って落水する。
陽射しがあって暑いのだが、田んぼにいると風があって気持ちが良かった。ありがたい。


夕方、総理大臣の集団的自衛権の行使を認めたことについての記者会見を軽トラのラジオで聴く。こういうとき最高裁判所はなにか言わないのかな?