現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

蒸し暑いことと畦畔の草刈りと大豆の播種とあれこれ


7日(月)
午後から大豆を播種する予定の圃場に切ってある溝をつないで、排水が尻水戸から流れ落ちるようにする。


8日(火)
終日、畦畔の草刈り。
朝から蒸し暑く、午前中から汗が滴り落ちて、全身が汗でぐっしょりになる。帰ってすぐ全部を脱ぎ捨て(あ、いや、捨てたわけではないのだが。)シャワーを浴びる。少し温水にしたのだが、着替えたら、生き返ったような気持ちになる。
昼食のあと、昼寝。
午後も少し遅くから草刈りにでたら、またもや全身ぐっしょり。夕暮れになり、我慢できなくなり、家に帰る前にコンビニで缶ビールを調達。家に帰って、すぐにまた全部を脱ぎ捨て(あ、いや、今回ももちろん、衣服を捨てたわけではないのだが。)、シャワーを浴びる。パンツ一枚で、缶ビールをプシュ!とさせたら、生き返ったような気持ちになる。

9日(水)
朝、青空がひろがっているだが、むちゃくちゃ蒸し暑い。午前六時の湿度は96%である。
天気は不安定で、午後は雨の予報もあるのだが・・・。
朝、畦畔の草刈りをし始めたのだが、この分なら、すこし大豆の播種もできるかもしれない、と思い直し、一枚だけ草刈りをして、すぐに取って返し、父にも来てもらって、大豆の播種をする。お昼までに二枚、5.5反ほど播種。
午後は雨雲レーダーを観てみると、雨が降りそうなので、播種はここまで。
午後遅く、さて、草刈りにでようかと、軽トラにあれこれ積み込んで、さて出発というところで、雨が降りだしてきた。雨雲レーダーを観ると、結構な厚い雲なので、ここで断念。田回りにでることにする。


内田樹編『街場の憂国会議』(晶文社)を読んでいた。内田氏をはじめ、小田島隆、想田和宏、高橋源一郎中島岳志、中野晃一、平川克美、孫崎亨、鷲田清和の9名があれこれ文章を寄せた本で、サブタイトルには“日本はこれからどうなるのか”とある。内田樹氏と郄橋源一郎以外はほとんど知らず、小田島隆氏と鷲田清和氏の名前を知っているのは、新聞のコラムで文章を読んだことがあるからだろう。内田氏が他8名のメンバーを選んで、書いてもらった文章を載せてあります。ま、この人選がキモなのでしょうな。もちろん、この本を買った理由は郄橋源一郎の名前があるからで、憂国会議で郄橋源一郎が、こういうメンバーに混じって、どんなことを書いているのだろう、と思ったからです。
内田樹氏の「株式会社化する国民国家」は、さすがにわかりやすく、よくわかりますが、いつもことながら、いささかクドイ文体です。さて、われらが高橋源一郎の文章は・・・。「安倍さん(とお友だち)のことば」うーむ。どうなんだろう、ちょっとすべってるんじゃないかな?最後の長谷川三千子さんの言葉の引用など、あちこちに皮肉がちりばめられているのだが。
でもね、やっぱり痛切に思ったのは、当り前なのだろうけれど、小説家の書く文章、文体にみなぎる自信ですね。書いてある中身は、いささか自信なさげに、場違いなところにいるような書き振りなのだが、文体は自信に満ちあふれています。
昔、高校生の頃、岩波新書の青版で『私の読書法』というのを読みました。本棚のどこかにあるはずなんですが、もう探すのに時間がかかりそうなので、ネットで検索してみたら、登場する20人の名前もすぐに出てきました。清水幾太郎杉浦明平加藤周一大内兵衛、田中美知太郎、都留重人鶴見俊輔松田道雄円地文子などなど、豪華な名前が上がっています。その中に開高健もまじっているのです。開高の「心はさびしき狩人」だけ、その新書の中で、見事に浮いているんです。違和感があるんです。異彩を放っています。高校生の時に、そう感じたんですが、文章はとびきり面白いんですね。その時にこの浮き加減は、開高健の自信なんだと思いました。学者・先生とは違いますぞ、という自信であり、誇りであり、意地でもあるのだろうと。
同じようなものを源ちゃんの文章からも感じました。もっとも高橋源一郎もいまや大学の先生でもあるんですけどね。


こういう蒸し暑く、体がしんどいときは、濃いお茶を飲むのがよいかもしれん、と久しぶりに玉露をいれてみた。久しぶりと書いたが、実は二、三日前にも、飲んだということを思いだす(笑)。梅雨寒の湯豆腐が悪くないように、梅雨寒の濃いお茶もいいのだが、梅雨時期の蒸し暑いときに、ぬるくとろんとした玉露もわるくない。自分で書いていて笑えるが、これは池波正太郎の「梅雨の湯豆腐」が頭の中のイメージとしてあるんです。
梅雨寒の夜に湯豆腐というのも、確かに悪くない気がするが、梅雨寒って、なんか最近、蒸し暑いばかりで、あまり感じたことがない。
などと書いたのは、最近、新しい汲み出し茶碗を一つ買ったからです。ええ、最初の画像の茶碗。ネットで、汲み出し茶碗を調べるのですが、茶会とか茶の湯にうといので、「茶会の際,寄付(よりつき)や待合で白湯(さゆ)・昆布茶・香煎(こうせん)・桜湯(さくらゆ)などを汲んで出すのに使う茶碗。」という汲み出し茶碗の説明が、何度読んでも、理解出来ず。汲んで出すのに使う茶碗とあるが、汲んで出す、とは茶席において、どういう所作なのか、さっぱりわからない。ま、いいけど。


西村和雄『有機農業コツの科学』(七つ森書館)を読んでいたら、やっぱり、これは、ノートを取りながら、読むべきではないか、と思い始めている。とくに前半、科学的な説明をするのなら、するで、もう少し図による説明が必要なのではないか。