現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

『すごい畑のすごい土』とナタネ播種の準備

tsujii_hiroaki2014-10-24

22日(水)
終日、雨が降ったりやんだり。やれやれ。


たまっていた事務仕事をする。たまっていた事務仕事が全部片づいたというわけでもないのが、ツライ。ま、でも、だいぶ楽になりました。気分的に。



23日(木)
午前中はお米の精米など。
午後は乾燥機の集塵機のカバー(アルミの骨組み部分とビニールのカバー部分があります。)を廃棄しようとしたのだが、広域処分場のクリーンプラントに持ち込んだら、これは農業関係のものですから産業廃棄物になりますから、と断られてしまう。ははん、なるほど。
で、民間の処分施設を紹介してもらうが、二ヶ所に電話したら、アルミの部品はうれしいのだが、ビニール部分は、3000円からの基本料金をいただかないと受け取れないと言われる。ははん、なるほど。
で、農協の農機センターに電話して、あーた、あーたのところから新しいヤツを購入するので、この古いヤツを引き取ってもらえないか、と電話したら、持ってきて、と言われてたのだが、うーむ、これは、今度の農業の産業廃棄物処理のときに持ってきて、と言われてしまう。ビニールとアルミと混じってますし、もし、アルミが困るといわれたら、うちで引き取ります、と言うことでした。ははん、なるほど。


わかったこと、行政は法律がありますから、どうしても杓子定規になります。ま、あんまり臨機応変、融通が利いても困りますから、ま、仕方がないですね。あとはアルミなど金属は欲しいけれども、ビニールはねぇ、という処理場の考え方ですね。ま、これも、売り買いの経済上のことですから、ま、仕方がないですね。
で、集塵機のカバーは、アルミ部分とビニール部分に分けることにしました。ええ。分けて農業産廃の処理の時に出すことにします。
たったこれだけのことに、二時間ほどかかってしまう。ま、とにかく、捨てるものは捨てないと、秋の仕事の後始末が進まないのであります。


24日(金)
有機栽培でナタネを播種する圃場の溝切りやら耕起やら。あと溝をつないだり。ええ、まだ今日作業したところの播種はしてないんですが、明日、第二弾の播種する予定。


夕方、近所の居酒屋に用事があったので、いって、用事のついでに生ビールを二杯飲む。うまいぜ。突き出しに白魚が出ました。ショウガが乗っていましたが、これが、あーた、うまかったです(笑)。って、スコップや鍬の仕事をしたあとなら、うまいのは当たり前か。
うまい酒やビールが当たり前に飲める、そういう暮らしがしたいな(笑)。


畑にいったら、ラッキョウの紫色の花が咲いていた。
ラッキョウって、いいなぁ。あたしゃ、好きです。って、何度も書いてますが。
あと、朝の散歩で道端にでかいキノコを見つける。五、六本出てました。うーむ。


杉山修一『すごい畑のすごい土』(幻冬舎新書)読了。
帯には「長年『奇跡のリンゴ』の畑に通った学者がその秘密をわかりやすく解説。」とある。いや、確かに解説はしてあるが、わかりやすいかどうか、いや、わかりやすいのかもしれないが、どうも新鮮味に欠けるような気がする(笑)。でもジェームス・ワトソンとエドワード・ウィルソンという二人のハーバード大学の先生の葛藤に関する話が面白かったです。生物学といっても、細胞レベルの生命現象を扱う分子生物学と生物社会を研究対象とする生態学では、要するに、依って立つ理論の立場が違うのだと。
細胞の生命現象は突き詰めると化学の原理に基づいていますね。ですから、細胞レベルで起きる生命現象を基本法則に基づき化学や物理学のように体系づけて考えようとしたいわけです。ところが、生物というのは、多様性なわけです。化学の原理だけでは、生物の多様性は説明できませんね。DNAに生命の設計図が描かれているということはわかりましたが、なぜ、そのDNAの中身が異なり、多様性があるのかは、説明できません。この多様性は、この著作ではダーウィンの進化論で、説明されようとしていますが、ま、そうなんでしょうけれど、今西錦司の棲み分け理論がまったく紹介されないのは、どうなんだろうと、思ってしまいます。
百姓として田んぼの様子や畑の様子を見ていると、競争原理より共存原理に基づいているのではないかな、と実感することが多いような気がするので。
ただ生物的自然が「競争の場」でなくて、「種社会の平和共存する場である」というような発想は、日本人的な発想というだけで、結局、同じことなのかもしれませんけれど。ある種、競争の結果として、平和共存しているように見えるだけかも、という気はしないでもないです(笑)。
生物多様性というのは、その土地の景観とも関係してくるというのは、ちょっとあれでした。要するに住宅地の中や、大学の中の圃場では、なかなか生物多様性というのは、難しいが、辺り一面、田んぼや畑であり、山があり、川があり、林があり、草地がある、そういう景観だからこそ、圃場に生物の多様な生物相を見せるのだと。ま、その通りですね。だから個人でやるより、地域全体で景観も守りつつ取り組むほうが効果的なんだと。なるほど。
最後の章「自然栽培の未来」。あれこれ自然栽培のいいところや問題点や課題のあとに、
“何よりも自然栽培の利点は、生産者が受け身から主体へ変化することです。▲マニュアルが通用しない自然栽培では、現場での観察と判断が重要で、生産者の裁量による工夫と改善が必要とされます。▲当然、失敗の可能性も増えますが、自然栽培を始めたほとんどの稲作農家は農業が楽しくなったといい、田んぼにも頻繁に顔を出すようになります。日本の農業は高齢化が問題となっていますが、自らの熱意と能力を試すことのできる自然栽培は、むしろ若者にとっての新しい魅力的な分野になるのではないでしょうか。”
とありましたが、私も、同じようなことを思っています。なるほど。