現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

花を移さば兼ねて蝶至り、石を買はば雲の饒かなるを得ん


5日(木)
今年の正月に、奥さんの実家に新年の挨拶にいって、ご馳走をいただいてきたのだが、その時に義父さんから、「実はね、うちには永平寺の偉いお坊さんの揮毫の掛け軸があるんやけど、これが、誰が書かれたものか、どう書いてあるのか、どういう意味なのか、さっぱりわからんのやけど、ヒロアキさんなら、わかるかもと思って」と掛け軸の写真を見せてもらいました。
なるほど。義父さんは、僕が学生時代にすこし中国文学に親しんだので、こういうものも読めるんじゃないか、と思ってくださったようなのだが、これは、ま、大いなる買いかぶりであります。だいたい授業や教科書はみんな活字ですから、このような直筆の筆文字などは、まったくのお手上げです。たぶんこういう書をきちんと判読するのは、また別の勉強をしなくてはいけないのでしょう。
さて、写真で見ると十字の漢字が並んでいるのは、よくわかります。で、ま、読める漢字もあれば、まったく読めない漢字もあって、なかなかこれは大変です。
しかし、僕にはすぐにアテがあったのです。永平寺の偉いお坊さんなら、永平寺には高校の時の同級生のツレ、T君がいるのだ。うーむ。とりあえず、彼に聞いてみよう!


T君に掛け軸の写真をメールで送ると、折り返しすぐに返事をくれました。
「添付の墨蹟は、永平寺の六十四世、森田悟由禅師の揮毫です 森田禅師は明治維新でグラついた本山、いや宗門全体を建て直した方で、永平寺では重興と称号し、今も特別な禅師(住職)様として尊崇されています。(以下略)」
天保5年1月1日(1834)尾張国知多郡大谷村、森田常吉(父)市田ぬい(母)の二男として生まれる。兄弟の二子のみ。幼名は「常次觔」。なるほど。なるほど。


それから、この句はネットで調べたのだが、「武功縣中作」三十首ではないか?「移花兼蝶至 買石得雲饒」と教えてもらう。さすがですねぇ。


はい。でも私もまったく同様に、読める字だけネットで検索したら、この「武功縣中作」が出てきたので、これかな?とあたりをつけていたのです。T君はさすがに訓読してくれていました。これ以上は僕の方が詳しいんじゃないか?と書いてありました。あははは。買いかぶりです。


でも。
これで森田悟由禅師の揮毫とはっきりしました。それから「武功縣中作」三十首の(其四)、つまり四つ目の五言律詩ということもはっきりしました。
さて。
この中国の唐の時代の詩人、姚合が作った「武功縣中作」三十首の(其四)は、次のようなものです。


   簿書多不會,薄俸亦難銷。醉臥慵開眼,閑行懶繫腰。
   移花兼蝶至,買石得雲饒。且自心中樂,從他笑寂寥。


うーむ。筆文字がここまで活字になったら、いよいよ、僕の出番かも(笑)。学生時代は、工具書(辞書・辞典・目録類)を駆使して、日本語訳をする訓練を受けました。ええ、受けた筈です(笑)。さらに手元には今の日本で漢文を読むための最強の工具書三省堂の『全訳漢辞海』があります。30年ぶりに(笑)、まっさらの何にも知識のない漢詩を日本語にする作業をやってみるか、と思ったのです。
ええ。一つは『全訳漢辞海』が手元にあること。一つは、義父にはずいぶん世話になっているし、子供たちのことも気にかけてもらっているのに、ずいぶん心配ばかりをかけているので、(ええ、義父さんも義母さんも、なんにもおっしゃらないのだが、心配させているのは間違いないです。ええ。)ここで、なんとか、一発逆転、いいところを見せたいと思ったのです。「娘婿もちょっとは役に立つところがあるかも」と思っていただきたい、と。だいたい、いいところがない人間に限って、いいところを見せたがるものなのですが・・・。


詩人の姚合(ようごう)については、中唐の詩人であることはすぐにわかりました。“中国,中唐の詩人。峡石 (河南省) の人。元和 11 (816) 年進士に及第,武功主簿を授けられ,のち秘書少監にいたった。五言律詩を得意とし,自然や日常生活に題材を求めた。同時代の賈島(かとう) ほどは苦吟にふけらなかったが,やはり技巧に意を注ぐ詩風で,「姚賈」と並称され,後世,宋末の江湖派の詩人から模範とされた。”と。なるほど、僕は聞いたことのない詩人だが、そこそこ有名な詩人らしい。うーむ。


辞書を引き引き、五言律詩を訳しはじめました。律詩なので、まあ対句とかある程度ルールがあるのですな。


  簿書多不會  仕事の帳簿についてはわからないことが多い
  薄俸亦難銷  (こんな田舎では)安い給料も使い切ることが難しい。
  醉臥慵開眼  酔って横になれば目を開けることも物憂く
  閑行懶繫腰  女性と交わることも面倒だ。
  移花兼蝶至  庭に花をたくさん植えて蝶がやってくるようにし、
  買石得雲饒  石も買って庭に置き雲がゆたかに感じられるようにする。
  且自心中樂  そうして心から楽しみ
  從他笑寂寥  他人に従いつつも寂しさを笑うのだ。


なんだか、詩の世界の統一性がない。つまり間違っているということです。ええ、これも大学の授業で教えていただきました。
これでは義父さんにいいところを見せられないのは、明らか。
だいたい。
  閑行懶繫腰  女性と交わることも面倒だ。
これが一番あやしい。根本的に間違っている匂いがプンプンだ。
  「閑行」暇な行い?閑居して不善をなす?
  「繫腰」腰をつなぐ?ええ?腰をつないじゃうの?
  「懶」 物憂い。おこたる。
ま、煩悩があると、いろいろ想像が膨らんでしまいますな(笑)。


これではイカン、と。思いきって学生時代の恩師、この『全訳漢辞海』を編纂された先生に思いきってメールしました。現在、四版の改訂中で忙しいということもわかっていたのですが、いつでもいいので、教えていただきたい、とお願いしましたら、たちどころに解釈を承知していただきました。白話を含む漢詩なので、少し検討が必要だ、ということでしたが、翌日すぐに「整いました。」と返事をいただきました。
以下がその正解訳です。


武功縣中作三十首(一作武功縣輭居) 姚合


  簿書多不會,薄俸亦難銷。
  [訓読]簿書、会はざること多く、薄俸もまた銷(け)し難し。
  [口訳]帳簿は計算が会わないことが多く、気晴らししようにも、薄給だからそれも難しい。
  [語釈]「銷」は漢辞海1472頁「紛らわす。気晴らしする」意


  醉臥慵開眼,閑行懶繫腰。
  [訓読]醉臥して眼を開くるに慵(ものう)く、閑行せんとして腰を繫ぐことを懶(おこた)る。
  [口訳]酔い臥して眼を開けるのももの憂く、起きて散歩しようにも身支度がかったるい。
  [語釈]「閑行」は唐代に「漫歩」の意が加わった(漢辞海4版に補充します)。「繫腰」は帯を締める」意、広く「身支度する」。


  移花兼蝶至,買石得雲饒。
  [訓読]花を移さば兼ねて蝶至り、石を買はば雲の饒(ゆた)かなるを得ん。
  [口訳]花を植えれば蝶が来て舞い、庭石を買ってすえれば雲が豊かにまつわることだろう。


  且自心中樂,從他笑寂寥。
  [訓読]且(しばら)く心中に楽しみ、寂寥を笑ふに従(まか)せん。
  [口訳]取り敢えずは内心で楽しもう、うらぶれたなあと笑わば笑えだ。
  [語釈]「且自」の「自」は副詞語尾で、訓読できず、意味はただの「且」と同じ。これと対になる「從他」の「他」も動詞語尾で、訓読できず、動詞に「無関心・無責任・軽視」の語気を添える。三人称の代名詞とは異なるきわめて白話的用法で、漢辞海の守備範囲外です。


なるほど。ストンと胸に落ちるように、よくわかります。僕の訳を読み返すと赤面ものですが、30年ぶりということで、お許し願いたいところ(笑)。
さらに先生は「森田悟由禅師が、いつ、何で(どういう本で)、この姚合の「武功縣中作」三十首を読んだのだろうか?この「武功縣中作」は、手元の唐詩の選集を見ても、まず入らないもののようだし、まさか全唐詩を直接手に取ったとは思えないし。日本人がよく読んだ選集を網羅した佐久節の「漢詩大観」にも収録されていないので、「僻典」であることが分かる。」と考えておられました。さらに、
「今一つ言えることは、悟由禅師は江戸で東条一堂の漢学塾に3年ほど学んでいますが、東条一堂は幕末の詩経研究の第一人者であることです(「詩経標識」)。徂徠の流れをくむ古学派に属するので白話にも関心があったのかもしれません。東条一堂の塾で使った課本(教科書)に《武功縣中作》があった可能性もなくはないです。」
ということでした。なるほど。


掛け軸の「移花兼蝶至 買石得雲饒」は「花を移さば兼ねて蝶至り、石を買はば雲の饒(ゆた)かなるを得ん。」「花を植えれば蝶が来て舞い、庭石を買ってすえれば雲が豊かにまつわることだろう。」ということだったんですね。やっぱり作庭の妙味というか、禅のムードがありますね。
それにしても、悟由禅師の字。勢いがあるし、確かに筋が通ったというか、芯があるというか、日本の書にありがちな、太くてフワフワモワモワしたところのない、細くてキュッとしまった線で。美しいと思います。今度は実物を見せていただきたいところ。


T君のメールも、永平寺で修行し、お寺の文化財を管理や、機関誌の編集発行の責任者として、さすがだなぁ、と思わず感心してしまうメールでしたし、恩師のメールも日本一の漢和辞典の編纂者としての自負や自信のあふれた素晴らしい考察で、ドキドキしました。
唯一、私の日本語訳だけが失笑を買うお粗末な内容だったのですが、それでも、久しぶりに学生時代に戻って、まっさらな漢詩の日本語訳に取り組んだのは、ワクワクするいい経験で楽しめました。半分くらいは間違っていましたが、半分くらいは読めていたのではないかな(笑)?いやいや、恩師に確認すれば、点数はもっと厳しいことはわかっているので、甘い甘い自己評価です。


そんなこんなで、「花を移さば兼ねて蝶至り、石を買はば雲の饒かなるを得ん」とつぶやいております。


6日(金) 雨とみぞれと陽射し。
書類を作って、午後、市役所へ提出。


市役所から帰ってきたら、クラリネットの音が聞こえる。一瞬、北村英治がやってきたのかと思ったぜ。ずいぶん下手な北村英治だけど。久しぶりに次女がクラリネットを持ってかえってきて吹きまくっています(笑)。