現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

苗箱に土入れ完了と畦を焼くことと医と食と農



27日(金)
午前中は苗箱の土入れとお米の精米。
午後は苗箱の土入れ。
それから夕方歯医者さんへ。いやはや。


28日(土)
午前中は苗箱の土入れ。
これで予定枚数を完了。1700枚弱の苗箱をつくる予定です。
それからお米の発送など。
父がトンネル苗代の畝をトラクタで切ってくれたのだが、どうもロータリーから異音がするという。どうもロータリーの軸受けのベアリングが割れている気配。農機センターに電話して見てもらう。うーむ。
ラクタに畔塗り機をつける。
午後は畔塗りに先立って、畔の枯れ草を焼く。よく焼けたところもあり、すでに草が生えてきていて焼けないところもあり。
ま、それはそれでいいのだが。
畦を焼いているところを、隣村の知人に見られていたらしい。あんまり最近は畦を焼く人も少ないですからね。畦塗り機で畦を成形する前に、除草剤をかけて草を枯らしてから畦塗する人は多いが、ま、焼けば、草関係もすこしましになるし、畦に穴を開けるような悪さをする虫や鼠なども、煙と熱に驚いて隣の田んぼに逃げていってくれないかなぁ、と淡い期待を抱いたりしている(笑)。


昨日、どこかのブログだったかTwitterだったかで、「医は農に、農は自然に学べ」というコトバを見つけて、なんだかちょっと、ゆっくり考えている。
“農は自然に学べ”というのは、よくわかる。私もそう思っています。百姓は自然観察の目が何より大切という気にもなっています。観察眼というか、目の付け所というか。
じゃ、“医は農に学べ”というのは、どうか。もちろん最近の最先端医療というのか、たとえばiPS細胞の技術や研究、それから腹腔鏡手術の技術に百姓の出る幕はない。病気になってしまった人を百姓は治すことは出来ませんが、予防医学という発想もありますね。「医食同源」という言葉が昔からありますな。要するに人は呼吸をしたり、運動をしたりしますが、基本的には、身体をつくるのは、食べ物です。我々の身体は食べたもので作られていくわけです。ですから健康的な暮らしを確立したかったら、食に気を使うのが当然だ、という発想ですね。中華料理などは本来、医食同源そのものだ、と言われたりしています。


ところが、この「食」は、「農」がゆがむと、たぶん、すぐに「食」もゆがんでしまうものだ、と僕はだんだん思うようになってきました。だいたい土や水は清浄であるというのが人の暮らしの基本です。
医と食と農は三位一体。農があやまてば、食が歪み、食が乱れれば、身体が病む。そういうことなんだろうな、という感覚を今は強く持っています。というか清浄な土と水と大気を評価する価値観が世の中に広まってほしいな。

あなたの暮らしのすぐそばで水や土を大切に守ってきている百姓がまだまだたくさんいるのですが。