現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

草間彌生の絵葉書と『鹽壺の匙』

tsujii_hiroaki2016-01-10


9日(土)
世間がいきなり三連休だとは、三連休になるまで知らなかったが、百姓はもう何日も連休が続いているようなものかもしれない、と苦笑してみる。


先日、長野の消印の大型の正方形の絵葉書が届いた。松本市美術館をおとづれた友人が送ってくれたのだ。草間彌生の特別展示がされているという。とってもポップな白と黒と赤の3色の作品なんだけれども、なんだかひきつけられるので、このところ机の上で見えるようにして、毎日楽しんでいる。
目がたくさん描かれているのだが、「ワニ眼画伯」の沢野ひとしのへたうまの絵に似ているんだな。それからミミズのようなヤスデのようなムカデのようなゾウリムシのようなヒルのような、おもしろいなぁ。送ってくれた友人に感謝。


午前中はお米の発送、それから酒屋さんに正月のビールの瓶などを返却したり。
午後は電話をもらってあわてて近所のふれあいマーケットに味噌用の大豆をもっていったり、用水に使う川の堰を確認しにいったり。


10日(日)
陽射しもあったのだが、なんだか一日風が冷たく寒い。って、寒の入りなんだから当たり前だけれど。


車谷長吉『鹽壺の匙』(新潮文庫)読了。いやー、すごいわ。これは、久しぶりに引き込まれるように読みました。昨日「なんまんだあ絵」「白桃」「愚か者」「萬蔵の場合」と読み、今日は「吃りの父が歌った軍歌」「鹽壺の匙」と読んだ。私小説ということらしい。暴きに暴いていますね、身内のことを。そして自分のことを。しかも強烈な文体で。先日読んだ『車谷長吉の人生相談 人生の救い』のなかのあの強烈な回答を妙に納得させるものではあります。
文庫の解説を書いている吉本隆明の「私小説は悪に耐えるか」でも引用されている、車谷長吉の「あとがき」の一部を僕も書き写しておく。
”詩や小説を書くことは救済の装置であると同時に、一つの悪である。ことにも私小説をひさぐことは、いわば女が春をひさぐに似たことであって、私はこの二十年余の間、ここに録した文章を書きながら、心にあるむごさを感じ続けてきた。併しにも拘らず書きつづけて来たのは、書くことが私にはただ一つの救いであったからである。凡て生前の遺稿として書いた。書くことはまた一つの狂気である。”
この段落の文章だけでも、なんだか背中がゾクゾクするではないか。
こんな小説の文庫本を読みながら、鞍掛豆の塩茹でをつまみつつビールをいただく。なかなか気持ちのよい二日間でした。