19日(火)
午後から雪という予報でしたが、終日、時々陽射しも届くという天気。風は冷たかったけど。
20日(水)
夜中に雷がドドドドーンと鳴った(?)のは覚えているのだが、朝起きたら、うっすらと積雪しておりました。2cmくらいかな?
村上春樹『ラオスにいったい何があるんですか?』(文芸春秋)読了。紀行文だし、日本航空の機内誌「アゴラ」に載せられたものが中心になっているらしい。飛行機に乗ることもほとんど無縁に過ごしてきたので、そういう機内誌があることさえ知らなかった。ここ最近読んでいた車谷長吉の強烈な文体からすると、妙にスカスカと風通しのいい文章です。それでも読んでいて気持ちがいいんだからどうしようもない。2回登場したボストン篇もいいし、ニューヨークのジャズクラブ篇もいい、(だって、もしタイムマシンがあるのならクリフォードブラウン=マックスローチの五重奏団の演奏を思う存分楽しむために1954年のニューヨークに行きたい、というところから話がはじまるんだ。)でも、僕はやっぱりラオス篇が一番よかったかな。いささか思索的で(笑)。
たとえば。
”人々は文字通りメコン川に沿って生活を営み、その意識や心は、川の途切れない流れと共生しているようだ。おおむね諦観的に、しかしあるときにはタフに。”
この「諦観的」というのが、いかにも村上春樹らしくていい。わりとよく出てきますね、村上春樹の文章には。
”僕らはもちろん毎日いろんなものを見てはいるんだけど、でもそれは見る必要があるから見ているのであって、本当に見たいから見ているのではないことが多い。電車や車に乗って、次々に巡ってくる景色をただ目で追っているのと同じだ。何かひとつのものをじっくりと眺めたりするには、僕らの生活はあまりに忙しすぎる。本当の自前の目でものを見る(観る)ということがどういうことかさえ、僕らにはだんだんわからなくなってくる。
でもルアンプラバンでは、僕らのは自分が見たいものを自分で見つけ、それを自前の目で、時間をかけて眺めなくてはならない。そして手持ちの想像力をそのたびごとにこまめに働かせなければならない。そこは僕らの出来合の基準やノウハウを適当にあてはめて、流れ作業的に情報処理ができる場所ではないからだ。僕らはいろんなことを先見抜きで観察し、自発的に想像し(ときには妄想し)、前後を量ってマッピングし、取捨選択をしなくてはならない。”
ちょっと長い引用になりましたが、要するに自分の眼で観察して、自分の頭で考えるということですわな。