現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

高村薫『土の記』読了のことなど

高村薫『土の記』(新潮社)

25日(水)
朝はよく冷えてあちこちがよく凍てている。でもときどき陽射しも出る。
精米と事務仕事でバタバタしているうちに一日が終わる。


26日(木)
朝はよく冷えていたが、晴れて陽射しが届いて気温も昨日より上がったようで、ずいぶん雪が融けました。ありがたい。
今日も精米と事務仕事と子どもの送り迎えでバタバタしているうちに一日が終わる。いやはや。


田んぼは雪で覆われているのでなにも仕事はできないが、とにかくしばらく家にいなかったので、事務仕事があれこれ年度末に向けて、あるいは年度初めに向けて、計画を出したり、会計を締めたり、あれやこれやで、バタバタである。


そうそう旅行中に高村薫『土の記』(新潮社)を読了しました。ああ、すごく良かったです。これも純文学ですな。特になにか大きな事件が起こるわけでもないんですけれどね、細々した記述のあちこちがこちらの琴線に触れるというのか、うるうるしてきたりします。
主人公は七十過ぎの百姓のオジジということになっているのだが、この主人公に惚けが始りかけるんですね。ま、高村薫のファンならなんともそのリアリズムにうたれることが多いのだが、ははん、高村薫の筆によると惚けの始りはこんな感じなのか、と妙にリアリティを感じたりする。もともとこのオジジは東京育ちで、大手電機メーカーに勤務していたという、どこか上品でインテリでもあるんです。以前読んだ書評に主人公が凡庸な男というようなことが書いてありましたが、とりようによってはそうも言えるかもしれませんが、僕にはまったく凡庸には思えませんでした。
高村薫のインタビュー記事をネットで見つけました。このインタビュー記事からも高村薫の男っぽさがにじみ出てますな。実は最近の高村薫はあまり読めていないのです。三部作の最初の『晴子情歌』の最初の30ページ?50ページ?くらいで、どうにも枕頭本として読み進めなかったのです。あ、『土の記』も最初の20ページくらいは、なんだなんだ?と思うような渾沌とした様な文章ですが、これが、あーた、後々、きちんと効いてきます。そんなこんなで『晴子情歌』も読めなかったのですが、また今度、寝転がらずに読んでみようかな。三部作。評判はいいので。



今朝の日本農業新聞のコラムにこんな記事


 わが子の名前には、親の無上の愛が詰まっている。作家藤沢周平は、一人娘の展子(のぶこ)さんが生まれた時、育児手帳に名前に込めた思いを記した▼実はまな娘誕生の2年前、最初の子を授かった。名前は、男なら展夫、女なら展子と決めていた。「それが貧しい父親のただ一つの贈り物だった」。だが長男は死産でその名を呼ばれることはなかった。父は、娘の元気な産声を聞き、きっと「兄」が「妹」に力を貸してくれたのだと信じた▼展子さんが書き留めている父の顔である。彼女の随想を読むと、藤沢がどれほど惜しみない愛情を娘に注いでいたかが分かる。彼女もまた「父」と「作家」両方の藤沢をこよなく愛した▼展子さんが心に深く残る父の言葉を挙げている。「普通が一番」「挨拶(あいさつ)は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝る時は、素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」。藤沢文学に通じる世界がそこにある▼時は流れ、展子さんは自分の息子に、「周平」から一文字もらい「浩平」と名付けた。名前に絆の系譜を思う。藤沢が病没してきょうで20年。くしくも結婚記念日に69歳の生涯を閉じた。最後まで一人娘を気に掛け、妻に宛てた遺書の冒頭には「展子をたのみます」とあった。


記事の中身はいつかどこかで読んだことばかりだったが、展子さんの心に残る父の言葉はどれも胸に染みる。どれもこれも当たり前のようで、なかなかそういう風には生きられないものですから。