現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

夏井いつき先生の句会ライブで入賞する

『別冊宝島73 楽しい俳句生活 読みか


27日(金)
今日が締め切りの書類がいくつかあって、仕上げて提出。
と、同時に資材の予約やおおまかな田んぼの年間計画などをつくる。バタバタだ。


28日(土)
朝からよく晴れて、気温も上がる。雪がずいぶん融けました。
今日は午前中、テレビの「プレバト!」でおなじみ夏井いつき先生が長浜の盆梅展にあわせて「句会ライブ」が開かれるということで参加してきました。えー、このあたりがミーハーというか、うれしがりというか。まあ、もうバレていると思いますが、うれしがりなんだからしょうがないですね。
私のHPも知っていてくださる方は、私がポツポツと俳句をひねってきているのはご存知のはず(笑)。今、ちょろっと最初に作りはじめた頃のページを開けてみたら、1995年の初夏からひねりはじめているではないかいな。え!もう20年以上になってしまっている!うーむ。自分でもこんなに長く続けられるとは思ってもみなかったが・・・。私はほとんどコンピュータにむかって俳句をひねってきました。最初はパソコン通信ニフティサーブにいくつかあった俳句のフォーラムの一つに投句しはじめたのです。それが1995年かぁ。最初は別冊宝島の俳句入門みたいなやつを読んだのがきっかけだと思うのですが。あ、本棚を探したら珍しいことに出てきました。『別冊宝島73 楽しい俳句生活 読みかつ詠むための現代俳句スタイルブック』です。1988年に出た本で、僕のは1989年の第4刷ですから、けっこう前から俳句は気になっていたみたいですね(笑)。とりあえず、僕はこの本の小玉節郎氏の「俳人への奥の細道」という文章を読んで、“魚容”という俳号を勝手に名乗ったのでした(笑)。作家の小林恭二の「新鋭俳人の句会を大中継する」というところとか、何度も読んだ気がします。ここに登場する新鋭俳人というのは、当時注目すべき二,三十代作家ということで、夏石番矢長谷川櫂、大屋達治、小澤實、岸本尚毅、皆吉司、大木あまり、寺沢一雄、山田耕司による句会の実況中継で、大変おもしろいです。
俳句を楽しんでおられる方は、たいてい結社というか、クラブというか、そういうところに所属して勉強されていくんだと思いますが、私の場合は、どこにも属さず、というか、僕は知らない人の中に入っていくのが、苦手な人見知りするタイプなので、どこにも所属せず、せっせとコンピュータに向かって句をひねり続けてきたのです。俳句は座の文学とも言われますから、僕のような作句スタイルは亜流であり傍流なのだと思います。というか俳句の楽しみを知らない、と言われても仕方がないですが、でも一人で20年続いたんですから、あながち知らないわけでもないんだと思います。
ですから、今回が初めての現実的な句会への参加のようなものです。句会の進行の具合もわかりませんし、あーた、緊張しますがな。しかも先生が毒舌辛口で噂の夏井いつき先生ですから。
でも俳句の裾野を支えているものへ、やさしくゆっくり丁寧にコツを教えていただきました。句会では昨日から考えてきたような句を排除して、平等を期すために、突然、お題(席題)が「長」と出て(長浜の長でしょうか)、「長」という字を必ず入れて句を作らねばならなくなりました。しかも作句に許される時間は5分。集中力全開の5分です。ま、こういうものはあまりひねり過ぎてもね。最初、ひねったのを4分30秒の時に消して、句の路線変更、30秒でしゅるっと書き直して提出。これがうまくいって入選七句に選ばれてとてもうれしかったです。会場で隣に座らせてもらった隣村の香珠さんも入選されました。香珠さんの句は本格的な格調高い句でした。さすがです。私の句は夏井先生に「今日、長浜で一番の変人の句です」と大いに褒めていただきました(笑)。亜流の、傍流の句ですので、ま、仕方ありません。
夏井いつき先生と写真を撮っていただいたり、入選の賞品でいただいた句帳にサインしていただいたり、ええ、そんなこんなでおおいに楽しませていただきました。


夜は寄り合い。


29日(日)
朝のうちは晴れ。よく冷え込みました。お昼過ぎから曇り。夕方から雨。
午前中は精米など。


このところ、ずっとYouTube米朝の落語を聴きながら眠るようにしている。たいてい一席終わらぬうちに寝てしまっているようで、朝、目が覚めてから蒲団から出るまでに、また昨夜の分を最初から聴き直したり、もう一席聴いたりしている。
今どき東京の落語と比べて上方落語をどうこう言う人もあまりいないと思うが、米朝さんの落語は、やっぱり上品でいい。もちろん東京の落語もおおむね上品なのだが、そこは同じ上品という言葉を使っても、上方のはんなりした味がありますな。そのあたり、同じ上方落語でも笑福亭の味わいとは少し違うのですが、僕は笑福亭の豪快な笑いに見せる技術も好きで、六代目松鶴の対談とかを読んだり聴いたりすると、豪快に見せてその繊細さがよくわかります。泣かせるのは簡単だが、笑わせるのは難しい、という古今東西、芸能の真理(?)を考えさせられます。