現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「損や苦労は、へでもない」というタンカと「苦労を」「豊かに」


終日、曇り空。寒い一日。


佐藤愛子『上機嫌の本』が新装復刊されたと、今朝の新聞の広告にのっていて、「損や苦労は、へでもない」と大きく書いてあって、笑ってしまった。佐藤愛子の文章は読んだことがないのだけれど、中学時代から文庫本になってましたな。佐藤紅緑の娘だというのを知ったのもその頃だろうか。90歳を超えて今も人気らしい。なるほど。「損や苦労は、へでもない」ですか。
東京で大工をしていた叔父さんがいるのだが、もうずいぶん前、たぶん僕が二十歳の頃だったか、法事で帰って来られたときに、法事が終わってから、さらに飲みながら「オレなんか、バカだからさ、苦労なんか、苦労って思ってなかったんだよな、若いときは。仕事覚えるのに一生懸命でさ。」とちゃきちゃきと東京弁で言われたのを思い出しました。ねっちょりした関西弁、湖北弁、長浜弁で暮らしている中で「〜しちゃったからさ。」「〜しちゃってさ。」という東京の歯切れよい言葉が滑舌のよい叔父さんから発せられると、どうしたわけかドキドキしたのを覚えています。


「損や苦労は、へでもない」の「へでもない」は「屁でもない」だろうけれど、おもしろいなぁ。そういえば、ここ最近、聞いたこともなかったし、読んだこともなかっただけに。
今、国語辞典を引いたら、「屁をひって尻すぼめ」というのが出てきて、これまた笑ってしまったが、”過ちをしでかして,あわててごまかそうとすることのたとえ。”とある。なるほど。ええ、そういう人、ちょいちょいといますね、今でも(笑)。知らんぷりをきめこんで尻をすぼめているのが、滑稽です。


     三月や屁をひり尻をすぼめをり     魚容
     啓蟄や損も苦労も屁でもない
     梅の香や損も苦労も屁でもない
     春光や損も苦労も屁でもない
     春の日や損も苦労も屁でもない
     三月や損も苦労も屁でもない      魚容


さて。さて。


      「豊かに」     吉野弘


     塚本正勝さん
     四十五歳
     元・三井三池炭鉱の優秀な採炭夫
     現在
     大牟田労災療養所で
     四十四人の同僚患者と共に
     神経機能障害回復のための
     訓練の日々を送っている


     昭和三十八年十一月九日
     第一斜坑で大規模な炭塵爆発事故発生。
     一千四百人の被害者中
     九百四十人は救出されたが
     内、八百三十九人が
     一酸化中毒のため神経機能麻痺。
     大部分の人は
     治癒の見込みのないまま
     現在まで
     十年間のうつろな時を積み重ねている。


     療養所の一室で
     塚本さんが今
     他の患者たちと
     言語機能の回復訓練を受けている。

     文字を書いた紙が
     左右の黒板に何枚かずつ貼ってある。
     その中の二枚を一組にして
     意味のある言葉にする。


     塚本さんが椅子から立ち上がった。
     その背に、同僚の声援と拍手が飛んだ。
     右の黒板から
     「豊かにする」と書かれた紙を剥がし
     左の黒板の前に立ち
     少し考えて
     「苦労を」と書かれた紙の下に貼りつけた。
       苦労を・豊かにする  
     塚本さんが
     陰にいるもう一人の塚本さんの手を借りて
     自分の運命を正確に揶揄してみせたかの
     ように。


     馬鹿笑いをする患者がいる。
     「いいそいいぞ」という患者がいる。
     「ちがうぞ」と怒鳴る患者もいる。


     塚本さんはニコニコして椅子に戻る。
     「豊かにする」筈だった
     「くらしを」は
     置き去りにされて。

     食べ盛りの三人の子をかかえ
     奥さん みすえさん(四十五歳)は
     この十年
     ずっと働き通しだった。
     そして淋しく笑う。
     「主婦ちゅうもんは、大体、男に頼って生きとっとです。
      それが、頼れん男になったとですよ。」


     塚本さんは
     成長した長男の結婚を知らない。
     『西洋剃刀だと、よく血が出すから」
     と電池剃刀を贈ってくれた次女を
     知らない。
     奥さんから何度聞かされても忘れてしまう。


     被災から十年
     いつまで療養所にいなければならないか
     本人も家族も
     医者も、知らない。

     療養所のグランドで
     塚本さんが
     他の患者たちと野球をしている
     まぶしい陽射しに眼を細めながら。


     これまでの十年と
     このあとに自分に残された時間のすべてで
     「苦労を豊かにする」
     と証言したことも知らずに
     受けそこねた運命みたいなボールを
     笑顔で追いかけている。


昭和38年の事故から10年とありますから、昭和48年の経験をもとに書かれたのでしょう。この「豊かに」という詩が収められているのは『北入曽』で1977年(昭和52年)に青土社から出ています。僕は思潮社の新選現代詩文庫『新選 吉野弘詩集』で読みました。初めてこの詩を読んだのは、大学の四年だったか五年だったか。1983年か84年です。「オレなんか、バカだからさ、苦労なんか、苦労って思ってなかったんだよな、若いときは。」という叔父のセリフからこの詩を思い出すんだから、やはりとてもなにか心に刻まれたんだろうと思います。
もうすぐ3月11日ですが、「被災から十年」というフレーズが、今となっては私には東日本大震災のことを思いださせます。