現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「恥の多い人生を送ってきました。」


19日(火)
お昼前から雨。冷たい雨で思ったほど雪はとけない。


コンビニで子持ちししゃもを買う。180円ほどだったが、これが電子レンジでチンするタイプで。温めたら思いのほか香りもよくて、うまくてびっくり。


インファナル・アフェア2 無間序曲』(2003)を観る。うーむ。なるほど。1の前の話で主役の役者さんだけは若い時代なので別の人です。なるほど。なるほどとしか言いようがない(笑)。


20日(水)
午前中は曇りでときどき時雨れたが午後は晴れる。
午前中は精米など。午後は作業所の整理など。


21日(木)
夜のうちに少し雨が降ったようで道路は濡れていたが、朝から晴れる。
午前中は精米など。午後は部屋の掃除と読書など。



太宰治が「恥の多い人生を送ってきました。」と書いたのは何歳だったのか。別に太宰に習わなくても、僕の人生が恥の多きものであるのは、誰よりもよく知っているのだが、・・・。今日はお米を購入してくださったお客様に礼状を書いていたのだが、このところ「寒い」と書こうとして、どうも「寒」の字が書きにくかったのです。あれ?書き順がおかしいのかな?どうもうまく書けないぞ?と思ったのでした。ええ、僕は小学生の頃から、まあ、いろんな人から書き順がおかしいよ、と言われつづけてきたのですが、書いた字が間違いでなければ、筆順なんて関係ないじゃないか、と思っていてあまり筆順を気にせずに生きてきたのです(このことだけでも、すでに恥ずかしいが)。ある時「飛」の筆順を知っているか?と訊ねられて、もちろん答えられないのだが、なるほど「飛」は難しい筆順かもしれないと調べて、その筆順の通りに書いてみたら、どうも「飛」の字がカッコよく書けたんですね、このとき書き順の大切さを初めて身をもって感じたわけです。同様に「必」という漢字も筆順通りに書くとカッコよく書けます。以来、うまく字が書けないときは筆順が間違っているのかも、と考える習慣ができていたのです。それで『漢辞海』で筆順を調べようと思って、驚きました。そもそも「寒」の字そのものが間違っていたのです。これには参りました。というか、いささかならずショックでした。いや、もしこれが画数の多いような、もしくは滅多に使わないような、難しい漢字ならわからなくもないです。でも「寒」ですからね。調べてみたら小学三年生で習う漢字です。まあ言うなれば社会人ならほとんど誰もが書ける漢字のはずです。ひょっとすると簡単すぎて高校入試の書き取り問題にも出ないかもしれません。
さらに、もちろんそういう漢字ですから、僕もずっと正しく書いてきていたはずなのです。三つ子の魂百まで、と言うではないか。もちろん小学三年生は三つ子ではないが、なぜ、ここに来て「寒」の字を間違ってかいてしまったのか、間違ったことにすぐ気がつかなかったのか。これにもいささかならずショックですな。
さらに、いつから間違ったまま「寒」の字を書いていたのか、わからないのである。昨日も「寒」の字を書いたのは間違いない。しかもどうも書きにくいな、と思いつつ書いたのを覚えている。では一昨日は・・・。「寒」という字は、たぶん礼状で、晩秋から書いているはずである。ひょっとすると秋からずっと恥をかいてきたのかもしれないが、じゃ、今年の春や去年はどうだったのか・・・、と思うとなんとも不安になるのである。オソロシイ、ハズカシイ。うーむ。
さらにこの春に高村薫『土の記』を読みました。面白い小説でしたが、いくつもあるテーマの一つがボケの始りと自覚です。ボケの自覚ってなかなかキビシイ問題だなぁ、と思ったのを覚えているのですが、「寒」の字を間違って書いていて、それに気がつかないのは・・・。と、いささかショックですが。うーむ。
ま、あまり難しく考えても仕方がないか。肉体の老化はとうの昔にはじまっているのだし、同様に脳の老化もとうの昔にはじまっているのだ。
そういうわけで、いつからどれだけのお客様に妙な漢字を書いてしまったのか、わからないのですが、失礼を笑ってお許しください。♪笑って許してっ、ハァッ!と歌ったのは和田アキ子です、というようなことは良く覚えていて忘れないのですが・・・。失礼しました。
ちなみに、太宰治が『人間失格』を書き上げたのは1948年(昭和23年)の5月です。玉川上水に入水したのは6月13日。太宰が38歳です。38かぁ。なんとも。


明日は冬至