現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

『ゼロ・ダーク・サーティ』と節分と立春

キャスリン・ビグロー監督『ゼロ・ダー

3日(土) 節分
キャスリン・ビグロー監督『ゼロ・ダーク・サーティ』(2012)をiTunesで観る。ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害に至る経緯と、作戦に挑む特殊部隊を描いた映画、ということです。最初はどんな映画なのかはっきり知らずに見始めたのです。2時間37分の長い映画ですが、途中から心をわしづかみにされたようで、ドキドキしながら観てしまいました。
しかし、なんですな、映画だとはいえ実話を元に作られているのですが、CIAとか、特殊部隊とか、やることがすさまじいですな。って、まあアルカイーダの大物が隠れているらしい大邸宅とはいえ、パキスタン政府にはなんの連絡もなく、家族で暮らす民間の邸宅に海軍の特殊部隊が夜中にステルスの軍用ヘリで突入していくんですから、なかなか強引な作戦ではあります。
僕は何も知らずに観たのですが、合衆国ではけっこう話題になったようですね。ちょうど大統領選挙と映画の公開が重なったりして。日本ではあまり話題にならなかったのかな?主演のジェシカ・チャステインが頑張ってました。CIAつながりで、こんどは『スノーデン』を観てみようかと思っている。


今日は節分。季節の変わり目。今日までが冬、明日は立春ということになりますね。


4日(日) 立春
今日は午前中が地域の総会、午後は農事組合の総会。夕方から慰労会。
風は冷たかったが、一日陽射しが出て、青空が広がった。




旧暦の正月、小正月は今月の16日だが、今日は立春。旧暦というと月の満ち欠けを基準にしている暦で、今の暦(グレゴリオ暦)は太陽の動きを基準にしていると言われる(太陽暦)けれど、いわゆる旧暦も月の満ち欠けだけだと季節がどんどんずれていってしまうので(新月から新月までは平均して約29.5日の間隔なので、12ヶ月間では約29.5日×12ヶ月=約354日となり、太陽暦より11日ほど短くなります。)それで閏月を間にいれて調整したんですね。つまり季節があまりずれないように、太陽の動きのことを勘案して暦を作っていたわけです。それで太陰太陽暦なんて言い方もありますね。
そうしてもう一つ太陰太陽暦の時代に「二十四節気」というのもあります。これは月の満ち欠けでなくて太陽の動きから考え出されたもので一年を24等分するわけです。要するに太陽の位置を基準にするわけですね。一番昼間の時間が長い「夏至」、一番短い「冬至」。真東から昇って真西に沈む「春分」と「秋分」。これらがまず基準になったんではないでしょうか。これで四等分になりますね。で、その中間地点をそれぞれ立春立夏立秋立冬とすれば8等分になります。で、こんどはその八等分の間に二つづつ切れ目をいれれば24等分になります。ちなみに「冬至」と「立春」のあいだには「小寒」と「大寒」が入りますし、「立春」と「春分」の間には「雨水」と「啓蟄」が入ります。
たぶん旧暦の太陰太陽暦だけだと一番困ったのは百姓ではなかったでしょうか。いくら閏月を入れるといっても、毎年同じ日付でも季節感がちょっとずつずれますから、暦の日付通りに種まきをすることが出来ないんですよね。ですから百姓は太陽の動きを基準にした二十四節気を大事にしました。そうしてまあ農事の暦でいえば、立春は正月なんですね。一年の始り。「八十八夜」も「二百十日」も基準は立春で、立春から数えます。二十四節気を基準にすれば太陽の動きは概ね同じですから、季節感(気温や雨量は毎年違いますが)は、まあまあ、揃いますね。もっともこの二十四節気の名前は中国から入ってきたものらしいので、少し日本の季節感とは違ってしまうのがいささか残念ですけど、まあ、それもそれとして文化そのものですね。
長々と書きましたが、そんなわけで百姓としては、「立春」はまあ正月のようなものであるといえなくもないので、今日の陽射しをしみじみ眺めたことでした。まだまだ田んぼは真っ白ですけれど(笑)。


古今集』の巻頭歌は


       旧年に春立ちける日よめる   在原元方
   年の内に春は来にけりひととせを去年とや言はむ今年とや言はむ


「まだ新年が来ていないというのに、年内に春は来てしまったよ。この一年を昨年と言おうか、それとも今年と言おうか」という歌ですが、まさに今年と同じですね。旧暦の正月は2月16日なので、今日の立春は旧暦だと十二月十九日となります。つまりまだ年内のうちに春が来てしまったという年なんです。


拾遺集』の巻頭歌は


   春たつといふばかりにやみ吉野の山もかすみて今朝はみゆらん   壬生忠岑


「吉野は雪が深く、春の訪れの遅い山というが、春になった今朝眺めると、ぼんやりと霞んで見える。暦の上で春になったというだけで、こんな風に見えるのだろうか。あの吉野山さえ霞んでいるということは、世は本当に春になったのだろうよ」という歌ですね。
穏やかに季節がめぐって、大自然から、大地から、豊かな恵みが得られますように。