現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

終戦記念日と初秋と近江鉄道120周年と


13日(月)
午前中は畦畔の草刈り。午後共済組合のMさんと話。夕方、余ったというかまき切れなかった穂肥を農協に返却。それからまた畦畔の草刈り。



14日(火)
午前中は畦畔の草刈り。
午後は次女の部屋にエアコンを設置する工事なのだが、壁に穴をあけるし、設置場所や室外機の置き場所など、相談もあるので、立ち合ってほしい、13時から2時間ほど、と昨日電話を受けたらしいのだが、なかなか工事の人がやってこない。結局2時間ほど遅れてやってこられましたが、工事はものすごくテキバキでした。工事が全部終わったのは17時過ぎでしたが、「これで今日は終わりなの?」と訊ねたら、「いえ、まだ二件あるんです。」「まだ二件?」「暗くなってしまいますよ。」「そうなんですよ。ここのところ、そうなんです。」「バリバリ仕事して、稼ぐねぇ。」「いえいえ、この猛暑ですからね。注文が多くて、テレビのニュースでも、どんどんエアコンを使って下さい。命にかかわる猛暑です、みたいなこと言ってるでしょ。つい二、三年前までは、節電、節電だったんですよ。」「ほんまやねぇ。原発事故のときなんか、節電一色やったけどね。」「電気工事の仕事なんで、文句もいえませんが、みなさんのこの夏の電気代は大丈夫なんですかね、わたしらの稼ぎよりも電力会社の稼ぎの方が・・・。これ以上は言いませんけど。(笑)」「ほんまやねぇ(笑)。しかし、これから二件は、大丈夫?」「仕事なんで。仕事はもちろんきちんとやりますよ。」
エアコン設置の彼は慌てて次の現場に向かっていきました。
私は線香だけ持って、お墓参りにいく。


15日(水) 終戦記念日
えーっと、正式名称は、「終戦の日」なの?「終戦記念日」なの?
午前中は、精米など。
午後は、お盆なのでと理由をつけて、うだうだ。お昼過ぎからビールを飲んでしまう。


終戦記念日なので、新聞はあちこちで終戦記念日特集をやっている。中日新聞では、「平和の俳句」が一日限定で復活していました。こういうのを読むと、俳句の「第二芸術論」についても、一言いいたくなるのだが、ま、それは今回はバス(笑)。
今日(15日)の中日新聞の社説。
「平和をつくるために 終戦の日に考える」
 きょう八月十五日は戦没者の方々を追悼する日であり、また同時にどうしたら戦争をなくせるかを考える日でもあるでしょう。二つの事例を引こう。
 一つめは、核兵器に関することである。
 英国とアルゼンチンが戦ったフォークランド紛争ではこんなことがあったという。
 英国の駆逐艦、シェフィールドが、アルゼンチン軍の発射したフランス製ミサイル・エグゾセで撃沈された数日後の一九八二年五月七日、フランスのミッテラン大統領はサッチャー英首相から電話をもらったそうだ。


 ミッテラン氏はかかりつけの精神分析医アリ・マグディ氏のところへ予約より遅れて到着し、言い訳した。
 <すみません、先生。鉄のご婦人との諍(いさか)いを収めねばならなかったもので。我々がアルゼンチンに売却したミサイルのレーダーを無効化するコードを渡さなければ、四隻の原潜でアルゼンチンを核攻撃すると脅すんですから…核戦争を引き起こすなんて。私は引き下がりましたよ>(東京大学出版会UP4月号、長谷部恭男氏「巡洋艦ベルグラーノ撃沈 一九八二年五月二日」より要約)
 精神分析医の著作(日誌)にある話で電話の有無、内容は間接情報であって真偽はわからないが、ありえる話である。
 そうだとすれば、核兵器は実際には使わないにせよ、核の力をもって英国は戦争を有利に導いたことになる。
 過去の話にせよ、核の威力は絶大で、核保有国は非核保有国に対し絶対的優位にあるわけだ。
 その威力は少なからぬ国々にひそかに核を持ちたいと願わせ、実際に保有国を誕生させた。


 北朝鮮もその一つである。核の威力をもってアメリカを振り向かせ、独裁体制の保証という果実を得ようとしている。
 それと正反対の世界的動向が非核保有国が集まって進める核兵器禁止条約である。核兵器の開発・保有・使用などを法的に禁止し、昨年国連で採択された。ただし各国の批准は進んでいない。
 それでも核兵器に対する人々の考え方は、徐々に変わってきているのではないか。持つ・持たないの不公平、非人道性への倫理的拒絶、人類の破滅。サッチャー氏の逸話などは過去のものとし、核時代を非核の時代へと反転させる意思を世界は持つべきだ。そのうねりは始まっている。
 もう一つは、私たち自身のことである。
 敗戦の後、憲法九条をマッカーサー司令官とともにつくったとされる首相幣原喜重郎は回想している。一九〇五年九月、日露戦争の講和直後のこと。
 ロシアから賠償金もとれなかった講和を屈辱外交と非難する東京・日比谷の大会から流れた人々が、政府への反発から交番、電車を焼き打ちし新聞社も襲った。実際は政府には戦争継続の力はもはやなく、一方国民は徴兵と戦費のための増税で苦しんでいた。
 当時幣原は外務省勤務で、講和全権の外相小村寿太郎から以下の述懐を聞いている。
 小村には国民の反発は予期の通りだったが、故郷宮崎県飫肥(おび)の村に帰って驚いたそうだ。各所に小さなテーブルが出て酒が一杯ついである。小村の酒好きは知られている。一人の老人が小村の前にやってきて言った。
 「東京では大騒ぎしたそうですが、騒ぐ奴(やつ)らは、自分の子供を戦争にやった者ではありません。私は子供が三人あり、そのうち二人は満州で戦死し、残った一人も戦地におります。みんな犠牲になるものと諦めておりましたが、お陰(かげ)で一人だけは無事に帰って来ることと思います。全くあなたのお陰でございます」
 老人は戦争を終わらせた小村の洋服にすがって泣き、同じ光景が二、三あったという(幣原喜重郎「外交五十年」より)。
 外交官の苦悩が語られ、同時に戦争のもたらす根源的な悲しみが語られている。


 戦争は政府にとっては政治であり勝敗であるのだろうが、家族や個人には人の生死でしかない。
 国家を主語とした威勢のいい話は一時耳に心地よいかもしれないが、注意せねばならない。近隣国への反感をあおる政治家の言葉はよく聞き分けねばならない。
 戦争より外交である。武力より対話である。
 戦争が多くの人の命を奪うのなら、外交は多くの人の命を救うといってもいい。
 何も理想を言っているわけではない。反戦は普通の人々の現実である。国家を平和へと向けさせるのは私たちの判断と意思である。


昨日(14日)の中日新聞の社説。「国家は国民を守るのか 終戦の日を前に」も新聞社が頑張って書いた感じがとてもありました。


これは、日本農業新聞のコラム。おもしろいですね。



いただいた田中一村の絵葉書を眺めています。ブルーブラックのインクの万年筆で住所が書かれていて、思わず唸ってしまいました。「山村六月〜北日向にて」奥の棚田の水の反射が美しいです。奄美田中一村、日本のゴーギャンと言われたりすることもありますが、どこかゴーギャンに通じるムードはありますね。この北日向というのは、奄美のどこかなのかな?うーむ。


そういえば、今日、郵便局へいったら、記念切手がありました。「近江鉄道開業120周年記念」です。「あ、これいいですね。もらいますわ。」と言ったら、「すみません、ツジイさん、これ82円切手が10枚のシートなんですけど、1300円なんですけど、・・・。よろしいですか?」「え?そうなの?でもなんか、いい感じなので、買いますわ。」「でも、これそれでもわりと売れているんですよね。なんでですかね?」「うーむ。ま、なんかよくわかりませんが、いい感じなのは、確かですね。」などと、まんまと高い切手を購入してしまったが。500円ほどの差額は、どこに行くのだろう?
近江鉄道は、正月に多賀大社にお参りするときに、乗ったことがありますが、あんまり乗ったことはありません。走っている姿は何度も見てますが(笑)。給料取りだったころ、職場の人や若い人が利用していたのは、よく知っています。けっこう雨風に強くて、JRが運休していても動いていることが多かったような気もします。典型的な赤字路線なんだそうですが、西武グループのはじまりなので、決して廃線にはしないらしい、という噂がありますが、本当のところはどうかわかりません。


月曜日、畦畔の草刈りをしながら、雲の様子をiPhoneのタイムラプス撮影してみる。たぶん合計で3時間分くらいだと思います。よーく見ると虹が出ていたりしてます。山際では雨が降っているのでしょうが、雷さんもゴロゴロしてきてました。いつ見ても、雲の動きはダイナミックですね。地球の大きさの片鱗を感じます(笑)。