現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

鴨すきうどんと坂口安吾の「土の中からの話」と”Joy Spring”


25日(月)
 午前中は用事で彦根までクルマでやってきたが、2時間ほど空き時間が出来たので、さて、と思ったら、目の前にコメダ珈琲店彦根平田店があったので入ってみる。以前からコメダはモーニングが安くていいですよ、と聞いていたのでありました。
モーニングセットを注文していたら、店内のBGMにマックスローチ&クリフォード・ブラウンの”Joy Spring”が流れていることに気がついて、ちょっと驚く。というかBGMなので静かな音量で流れているのだが、一発でクリフォード・ブラウンのトランペットに反応してしまっている自分にも笑える。はい。ずーっとジャズが流れていましたね。ジャズ関係の有線放送なのだろうか。でも演奏者や曲がわかったのは、あとオスカーピーターソンの”酒とバラの日々”だけでしたが。
 それにしても月曜日の午前中なのに、若いママさん達から老夫婦まで、喫茶店はほぼ満席。これにもちょっと驚く。僕はちょっと時間があいたので、持ってきた本を読もうと思ったのだが、老眼鏡を忘れてきて、なんともいささか苦労しました。
 昼には長浜の丸亀製麺によって鴨すきうどんを食べて帰ってくる。うーむ。おいしゅうございました。
 それにしてもよい天気。夕方から少し風が出たけれど、それまでは風も穏やか。春の陽射し。庭の紅梅が例年にまして早くから咲きはじめています。



26日(火)
 今日も春の陽射し。午後からは風が出て寒く感じましたが。朝、犬の散歩をしているときに、ヒバリが囀っているのを聴く。まだ二月だというのに。うーむ。


 『坂口安吾エンタメコレクション 伝奇篇』はポツポツと読んで、「紫大納言」「日本の山と文学」「禅僧」「土の中からの話」「桜の森の満開の下」と読み進める。「桜の森の」はやはり名編だと思いました。何度も読んでいますが、この突き放された感覚の読後感は文学作品の証し。それから、たぶん初めて読んで意外におもしろかったのが「土の中からの話」。これは農村・農民が純朴そうに見えて現実はいかに排他的で、小ずるくエゴイスティックに立ち回るか、というエッセイがあって、最後に一篇の伝奇が物語られる、という構成の話。わりと安吾はこういう農民観をあちこちで語っていますね。たくましい生命力のある泥臭いエゴイズム。新潟の富豪で、父親が衆議院議員という家に生まれた安吾なので、客観的に当時の農民を見ることができたのかな。


 例えば。
 「日本の歴史を動かしたものは農民だと云っても当の農民は納得しないに相違なく、農民個人というものはただ虐げられており、娘や女房を売り、はては自分の身体まで牛馬並に売りにだすような悲しい思いをしていることの方が多いのだが、その農民の個人個人の損得観念、損得勘定の合計が日本の歴史を動かしている、いじめられ通しの農民には、上からの虐待に応ずるには法規の目をくぐるという狡猾の手しか対処法がないので、自分が悪いことをしても、俺が悪いのではない、人が悪くさせるのだと言う。何でも人のせいにして、自主的に考え、自分で責任を取るという考え方が欠けており、だまされた、とか、だまされるな、と云って、思考の中心に自我がなく、その代わり、いわば思考の中心点が自我の「損得」に存している。自分の損得がだまされたり、だまされなかったり、得になるものは良く、損になるものは悪い。損得の鬼だ。これが奈良朝の昔から今に至る一環した農村の性格だ。」


 また。
 「農民の歴史は確かに悲惨な歴史で、今日のように甘やかされた事はなく、悲しい上にも悲しく虐げられてきたのだが、その代わり、つけ上がらせていればいくらでもつけ上がる、なぜなら自己反省がなく、自主的に考えたり責任を取る態度が欠けているからで、つまりはそれが農民の類い稀な悲しい定めに対するたくまざる反逆報復の方法でもあったのだろう。なんでも先様次第運命を甘受して、虐げられれば虐げられたように、甘やかされれば甘やかされたで、どっちも底なし、いつでも満ち足りず不平であり、自分は悪くなく、人だけが悪いのである。
 これは一つは土のせいだ。土は我々の原稿用紙のようにかけがえのあるものではないので、世界の大地がどれほど広くても、農民の大地は自分の耕す寸土だけで、喜びも悲しみもただこの寸土とだけ一緒なのだ。この寸土とそれをめぐる関係以外に精神が届かないので、人間だが、土の虫だか、分からないような奇妙な生活感情からぬけだせない。土地の私有がなくならぬ限り、農村の魂は人間よりも土の虫に近いものから脱けだすことは出来ないようだ。」


 なんて書いてあって、笑えるような、泣けるような。百姓の僕には安吾の書いていることがとてもよくわかります。
 この文章が書かれたのは1945年とだけ書いてあるので、日本が戦争に負ける前なのか、負けてからなのか、わからないのだが、でも、現代の世の中をちょっとゆっくり眺めてみると、安吾のいう「農民のエゴイズム」は、今やありとあらゆる職業、立派な肩書き、名誉ありそうな地位にいる人々にもひろがってきているのではないかと思われたりするのです。目の前の寸土のことしか見えず、喜びも悲しみもただこの寸土とだけ一緒なのは百姓だけではあるまい、と思われます。というより、農業が地球規模の環境変化に大きく影響されることに気がつきはじめた現代の百姓のほうが、返って大きな視野を持ちつつあるのではないか、とも。
 また、戦前や戦中を知るいまや高齢となっている人たちの中に、日本の今の様子を「戦前に似てきた」などと発言する人が出てきていることを、ふっと思い出したりするのでありました。


今朝のヒバリの囀り。

ヒバリの囀り20190226

マックスローチ&クリフォード・ブラウンの”Joy Spring”。クリフォード・ブラウンのソロはもちろんだけれど、全体にやっぱり春らしい空気を感じさせる演奏ですね。


Clifford Brown & Max Roach - Joy Spring