現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

大豆の播種を終えたことと『哲学者とオオカミ』


8日(月)
 午前中は直播きの役員会。
 午後は大豆の播種。下の田んぼで土は充分に乾いているとは言いがたかったが、とりあえず播種することにする。土が湿っているので、鍬で溝を繋げたり、溝に落ちた土を上げるのに大いに疲れる。
 でもこれで今年の大豆の播種は終了とする。

9日(火)
 終日、雨という予報だったかが、雨が降ったのはほんのわずかな時間で、ほとんど曇り空。
 午前中は事務仕事。午後は精米など。

 畑のトウモロコシがとれたので、さっそく茹でていただく。あははははは。

 朝の散歩道にヤブカンゾウが咲き出した。毎年咲くのだが、ヤブカンゾウはどうもクシャクシャとした花びらというか花なので、なかなかうまく撮りにくい。曇り空の木陰での撮影だが、どうも色かぶりしているなぁ。

それからこの妙な虫が散歩しているとぱたぱたと不器用そうに飛ぶのだが、なんていう虫だろう。

 カープがとうとう10連敗ということになってしまいました。苦しんでいるなぁ。カープは合計で11安打だし、決して打てていないわけではないのだが、ここというところでもう一つヒットになっていないなぁ。
 ま、明日ドラゴンズとやれば、オールスター戦ということになるので、ここでちょっと気分転換というか、休憩もして、後半戦に頑張ってほしい。まだまだこれからです。勝ったり負けたりしてほしいです(笑)。

 ここ一週間ほど、ボチボチと読んでいた、マーク・ローランズ著『哲学者とオオカミ』(白水社)を読了。副題は「愛・死・幸福についてのレッスン」となっています。おもしろかったです。2010年に出た本ですが、けっこうあちこちで書評にあがっていて、絶賛されていたそうです。帯には「最も大切なあなたとは、幸運がつきてしまったときに残されたあなただ」とか「気鋭の哲学者が仔オオカミに出会い、ともに生活しその死を看取るまでの驚異の報告。野生に触発されて著者は思考を深め、人間についての見方を一変させる思想を結実させる。」なんて書いてあります。
 なかなかオオカミと共に暮らす人はいませんね。しかもそのオオカミを檻にいれたりするのではなく、訓練し、家の中で共に暮らし、綱もつけずに一緒に散歩に入ったりランニングしたり、また職場である大学にも連れていって、授業の時も教室に一緒にいったわけです。自分と同等の力がある大きな犬には敢然と戦いを挑み容赦はないが、小さな犬や人間の子どもには優しく接するんですね。こういうオオカミ(名前はブレニン)に関するたくさんのエピソードはとてもおもしろいです。アメリカ、アイルランド、イギリス、フランスとあちこち暮らす場所も変わっていきます。著者の勤務校も変わっていきます。僕はブレニンがどんな場所を散歩し、走り回っているのか気になって、Googleマップで検索したりしつつ(もちろん家が特定できるわけではないが、雰囲気はよくわかります。)アイルランドのコークという街の周辺の田園や、ロンドン郊外のウインブルドンパークを眺めて、テニスのセンターコートを見つけたり、アールズコートのガーデンビューホテルを眺めたり、フランスのラングドック地方の地中海沿岸を眺めたりしました。
 著者は哲学者でもありますから、ブレニンの生き方やその死にふれながら、人間とはなにか、ということを考えるんですね。オオカミとサルを比べます。人間は内なるサルを抱えた存在です。サルは社会生活の中で相手の意図や状況を読み、それを利用して相手を欺き、謀略をたくらみ、相手の弱みにつけ込んで自らの利益を得ようとしてきた、と。それ故に知能が高度に発達したと。人がイヌやオオカミを愛するのは、サルになる以前に私たちが持っていたものを呼び覚ますのではないか、と。もちろん百姓の僕の頭脳では、愛も、死も、幸福も、時間も、充分には理解できないことばかりで、人間についての見方を一変させる思想を結実させることはできなかったが、付箋だけはたくさん付けてしまった(笑)。
 それでも充分おもしろかったです。それにしてオオカミはでかいですな。それに強い。僕は読みながらいつもレノン号のことを頭に思い浮かべていたのだが。レノン号もだんだん年老いてきています。ええ、僕も老いてきているし、僕の両親も当然ながら老いてきています。