現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「みずかがみ」の研修会と『大きな字で書くこと』


 終日雨が降ったりやんだりの時雨模様の天気。午後からは気温も下って寒かったです。上の写真は今朝の散歩の時のものですが、中央から左手に二重の虹の欠片のようなのが写っているのがわかりますか。肉眼で観た時にはもっとキラキラした感じだったのですが、なかなかうまく写りませんね(笑)。
 午前中は事務仕事をしたり、接骨院にいったり。
 午後は「みずかがみ」の作付け推進研修会にいく。いろいろ刺激にはなったが・・・。さて、作付けしてみようか。研修会の帰り道、伊吹山をみると山頂付近がけっこうはっきり白くなっていた。


 加藤典洋『大きな字で書くこと』(岩波書店)読了。2019年11月19日第一刷発行の出来たてもホヤホヤの本です。えー、こんなふうに出来立てホヤホヤの本をすぐに読了するのは滅多にないことで、大人気だった頃の村上春樹の長編小説が出た頃は予約して本を買い、すぐに読了したものですが、最近では刷られたばかりの本を買っても、すぐに読了するかどうかはまた別物で、買ったままツン読になっていることがほとんどだったのですが・・・。加藤典洋は文芸評論家ですが、ここ10年ほど、いや、15年かもしれないけれど、文芸評論家の本を読んだ記憶がない。と、書いて、いや、そうでもないな、と思い直しているところ(笑)。
 加藤典洋は、村上春樹について書いていることは知っていた。1990年代だったか、村上春樹に関する評論や本がたくさん出たときがあって、当時は村上春樹に関する本や文章は全部読みたいと思っていたのでその手の文章も読んだのだが、なんだかおもしろくないんだなぁ、これが。村上春樹の小説のおもしろさの半分どころか1/10ぐらいのおもしろさしかない気がして、その手の本に手を出すをやめてしまいました。あ、思い出したけど、村上春樹の小説に登場する料理のレシピ本が出て、これはなんとなく楽しかったのをおぼえていますけど(笑)。
 で。なんでこの本を読もうと思ったかというと、ラジオで高橋源一郎が紹介していたからです。今年の5月に亡くなった加藤典洋と親交のあった高橋源一郎が、最後に書いた文章が載っているとして紹介してました。読んで感じたのは、加藤典洋が文芸評論家ではあるけれど、同時に文学者でもあり詩人でもあることです。やはりどこか加藤典洋の書く文章はちょっとわかりにくいところがあって、それはたぶん言葉少なに書かれているからだと思いました。それは詩人の書き方でもあるでしょう。小説家、作家は、誰にでもわかるように、感動してほしいところでは誰もが感動できるように、わかりやすく書く。でも詩人の書き方の丁寧さはそういうところではないのかもしれない。
 「なんだか、小学生の頃は、大きく字を書いていた。それがだんだん、年を重ねるにつれ、小さな字で難しいことを書くようになってしまった。鍋のなかのものが、煮つまってきた、このあたりで、もういちど大きな字で、つまりはシンプルに、ものごととつきあってみたい、と思ったのである。」とタイトルについて説明している。
 本の前半ではいろんな人を紹介している。有名人もいるが自分の同級生だったり、大学の先生だったり、それほど有名でない人が多い。でもこれが不思議とおもしろく、しみじみとさせられる。
 後半は信濃毎日新聞に連載されたコラムですが、一つだけ紹介させてください。2019年3月に載せられた文章です。


   もう一人の自分を持つこと
 長い間、ものを考え、言葉に書くと言うことを続けてきて、自分について、思うのは、考える場として、つねに二つの場所を持ってきた。そのことのもつ大切さである。
 思う、と言う漢字は、田と心からできているが、この田は頭蓋骨を上から見たところ、心は、心臓を象(かたど)ったものだと言う。思うと言う心の動きは、脳の働きと心の働き、神経系と内臓系という二つの全く異なる身体の場所からもたらされる働きが合体したもので、そこでは両者が、キャッチボールをしている。
 だから、思う事は、計算することとは異なる。二者をもたないコンピューターにとって、もっとも苦手なことは、気持ちに左右されながら、優柔不断に「思いなやむ」ことだろう。
 私はこれまで文芸評論家として社会的なことがらにだいぶ容喙(ようかい)する批評、論考をものしてきた。その中でもっとも社会を騒がせた書物の一つに1997年に刊行した『敗戦後論』があるが、この一連の社会評論については、よくもわるくも文学的である、そのために、わかりにくい、という評言がつきまとった。
 私自身は自分を文学者だと考えている。だから、文学に専念すればよいところ、ひょんなことから、戦後であるとか日米関係であるとか憲法であるとかの問題に関心をひかれ、これらの問題にかかずらうことになったことは逸脱だともいえる。しかし、自分のつもりとしては、これらの政治的・社会的問題にこそ、現在の文学の問題が色濃く現れているように感じた。文学の価値を以前通りに信じて成立する文学世界では、あきたらなかったのである。
 しかし、私の書くものが難解な言葉などほとんど使わないのにわかりにくいと評されてきたことには、私なりに思いあたる理由らしきものがある。
 それは、右にあげたような社会的・政治的なことがらを扱うに際し、私のなかには、これらのことは大事だ、しかし、人が生きることのなかには、もっと大切なことがある、それに比べたらこうしたことがらは、重要ではあるけれども、結局、どうでもいいことだ、というような「見切り」の感覚が、つねにあったということである。
 それは、社会的なことがらがどうでもいい、ということではない。『敗戦後論』では私は200を超える批判を受けたが、自説を改めようとは思わなかった。堅持した。しかし、同時に、これは自分が生きることの一部にすぎない。窓の外にはチョウチョが飛んでいる。親子が公園を歩いている。もっと大事なことは、そちらにある、という感覚が、つねに私の脳裏を離れなかった、ということである。
 それが、どんなに社会的なことを書いても、どうも私の書くものは文学的だ、明快でない、わかりにくい、といわれたことの原因だったろうというのが、私自身の解釈である。


 いまは、病気をして、社会から隔絶され、人間にとって、何が一番大切なことなのか、というようなことを、考える。
 浮かんでくるのは自分がキャッチボールをしているシーンだ。
 ボールは、一人からもう一人へ、いったりきたりしている。だんだん日が傾いて、二人の影も長くなりながら、彼らのまわりをめぐる。キャッチボールは続く。
 自分の中に二つの場所を持つこと。二人の感情を持つこと。その大切さ。それが、いま私が痛感していることである。
 私の友人にも似たことを言う人がいる。生物学者池田清彦、解剖学者の養老孟司。彼らは虫マニアで、生活の拠点を都会と田舎と二つにもつことの大切さ、身体を手放さずに物事を考える大事さを強調してやまない。
 自分の中に、もう一人の自分を飼うこと。ふつう生活をしている場所のほかに、もう一つ、違う感情で過ごす場所を持つこと。それがどんづまりの中でも、自分の中の感情の対流、対話の場所を生み、考えるということを可能にする。
 それは、むろん、よく生きることのためにも必要なことである。


 読みにくい漢字は象る(かたどる)と容喙(ようかい)でしょうか。容喙の「喙」は「くちばし」のことで、横から口を出すこと。くちばしを入れるというような意味ですね。


 ああ、いい文章ですな。僕はそう思いました。やはり言葉少なに書かれているのでスラスラわかるという文章ではないかもしれませんが、ゆっくり読めばたいていの人にはわかる文章だと思います。
 僕は40代の前半で仕事をやめて、農業に世界に入ったので、この「自分の中に二つの場所を持つこと。二人の感情を持つこと。その大切さ。それが、いま私が痛感していることである。」という文章が胸に刺さるところがあるのです。いやおうなく自然に、すんなりと自分の中に二つの場所ができたらいいな、できるかもしれないな、という気持ちがあるからです。
 百姓仕事は身体を使う仕事でもあるので、お風呂で自分の足をマッサージせずにはいられないし、農繁期だと足に枕をしたり、高くあげたりしないと寝られなかったりするのですが、そうやって身体を使う仕事をして虫や雑草を眺めつつ暮らすこと、テレビや新聞やTwitterから流れてくるニュースや出来事に刺激されながら暮らすこと、家族や子供たちのあれこれに思い悩んだり喜んだりしつつ暮らすこと、給料取りだった自分と自営業で百姓をする自分が混ざり合いながら自分の人生が体をなしてきているような気がするからです。うーむ。ほんとに体をなしてきているのかどうかは、ともかく。