現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

廻り仏さんと井山裕太棋聖と収支明細之控




 ああ、今日から三月。正月だ、節分だ、といっていたのはついこの前のような気がしないでもないので、いささか焦る(笑)。


 朝は雨上がりで朝の散歩道の下萌えに露がたくさん残っていた。すでにホトケノザが咲き、やタンポポの絮(わた)までできています。トリミングしたのでちょっと画面が粗くなりました。


 今日はお寺さんの「廻り仏さん」と門徒の総会。今年は年番なので準備やら掃除やら。
 午後はいつものようにNHK杯囲碁対局を観る。今日は井山裕太棋聖の準々決勝の対局。僕は時間があれば毎週のように囲碁対局を眺めているが、囲碁のことはよくわからない。ルールは簡単なので知っているが、今日も伊田篤史八段がまあもうすぐ全部終わりそうなところで「参りました。」と頭を下げられたので、井山棋聖が勝ったことがわかっただけで、最後の盤面を観ても、どちらが勝ったのかさっぱり見当もつかない有り様。それでも解説を聞きながら一時間半眺めているんだから、家族からもあきれられている。僕は井山裕太棋聖が中学生くらいのときから知っていて応援している。30歳。一昨年には国民栄誉賞を受賞してたぶん今は日本一の棋士。というかもう七、八年前から日本一の棋士だと言ってもあまり文句は出ないと思います。
 囲碁がわからない僕がなぜファンなのかというのも、自分でもよくわからないが、テレビの画面は概ねずっと盤面を映しているのだが、井山棋聖の手というか指が美しいんだなぁ。指が長いし、碁石を丁寧に置くんですね。いいんです、これが。今日も伊田八段は最後あたり石が埋まってくると、石と石の間に投げるように石を置くことがあるんですが、井山棋聖は最後まで端正なんですな。


 現代は観戦記というものがはやりませんね。そんな観戦記を読まなくてもテレビ中継がありますから、野球でもサッカーでもラグビーでも映像と解説者の音声で文字通りスポーツ観戦できます。ところがテレビもなく、ラジオもあまり普及していなかった時代は、新聞に観戦記がよく登場したようです。プロの作家や書き手に書かせるのです。で人気があったのが将棋や囲碁の観戦記で、坂口安吾もよく将棋や囲碁の観戦記を書いていました。ええ、読むとこれがおもしろいです。将棋の木村升田三番勝負とかね。そんな影響で僕もわかりもしない囲碁中継を眺めているのかしらん。


 その後は「日本の話芸」で春風亭昇太が「二番煎じ」をやってくれてました。どうも芸風があまりあわないが話しぶりに余裕はありますな。


 午後は午前中の「廻り仏さん」の会計を計算して収支明細書をつくりました。これが毎年残されていますが、回ってきたノートはこんな昔の大福帳のような和紙の綴りで、近年はワープロでつくってプリントアウトしたのを貼り付けてある年もありますが、基本、墨で書いてあります。しかも数字は例えば12,630円は壱萬弐阡六百参拾円と書いてあるんです。こんなふうに漢数字で収支明細を作ったことなどありまへんがな。しかもまあ昔の人は筆というか筆ペンなのか、筆に慣れておられるので、字が美しい人が多いですなぁ。しかし、パッと見ると江戸時代の古文書かと思いますがな。去年もこんな感じで綴られています。こういう書式だと会計監査もしにくいですね。そうでもないのかな?
 それで、まあ、僕も筆ペンで頑張ってみました(笑)。が、あまりにもヒドーイということになりました。とても見せられません。だいたいパソコンの画面のように失敗してもやり直すことができません。これがツライですな。それに筆文字特有の線の伸びやかさがまったく無いです。ま、仕方がありません(笑)。恥をかくのも稽古のひとつと思うしかありません。
 13年前のブログ
    良寛を臨書してみる小正月   
という句をひねったぜ、と書いていますが、良寛の書がすばらしいのは言うまでもありませんが、なかなか真似しようとしても真似できるものでもありません。というか筆文字の基礎基本がわかっていないのが、ツライ。そういえば何年か前にある国語の先生から「私たちが学校で習った頃の滋賀県の書道教育は、元気に大きく太く書くように指導するばかりで筆の使い方を教えてもらってないことない?」と聞いたことがあるのですが、僕の字がまずいのもそのせいなのかも(笑)。



 そういえば思い出したけれど、この内田樹さんの文章に大きくうなずきました。百姓をしているので「かつての植物的な時間の中での子育て」なんて、いろいろ思うところが合ったのですが、今はまだ何も書けません(笑)。