ニゴロブナ放流20200724
24日(金) スポーツの日
今日は午前中は「世代をつなぐ農村まるごと保全向上対策事業」のひとつでニゴロブナの放流をしました。放流といっても、5月31日に役員で田んぼに2mmか3mmほどの孵化したばかりのニゴロブナの稚魚を入れたんですね。今日は7月24日ですから二ヶ月弱、田んぼで過ごして、概ね3cmから4cmほどに大きくなっていました。今日落水して、水と一緒に水路に放流して、琵琶湖までの長い旅に出てもらおう。で、地域の子供たちに集まってもらって、大きくなったニゴロブナを捕まえたり、観察したりして、楽しんでもらおう、という企画です。
今年はコロナ禍ということもあるし、梅雨明けはしていないし、まだ夏休みにもなっていないようだし、天気予報では雨の心配もあったし、子供たちが集まってくれるかな、ということもあったのですが、40人ほど集まってくれたし、なんだかみんな網で水路の藻をガサガサやって、サワガニやカワエビなんかを捕まえて楽しんでくれました。ありがたいです。
ニゴロブナの放流をしながら田んぼでゾウムシを見つける。うーむ。イネミズゾウムシよりはるかに大きいのだが・・・。うーむ。よくわからないぞ?
舛田利雄監督『二百三高地』(1980)を観る。脚本は笠原和夫。ヒットした映画のはずですし、うーむ、俳優陣が豪華ですし、挿入歌のさだまさしの『防人の詩』もヒットしましたし。ええ、でも初めて観ました。
なるほど。北陸の第九師団もわりとよく出てきて、あおい輝彦や新沼謙治、湯原昌幸、佐藤允などが金沢弁を話したりしています。
二回の総攻撃でも多数の犠牲者を出すばかりのなので司令官の乃木大将の家に人が集まってきて、「乃木!人殺し!」「兵隊ばかり殺しやがって!」「俺の息子を帰せ!」「天皇陛下と国民におわびしろぉ!」「人殺し!」などと家の周りで声をあげ、石を家に投げつけるのですね。無能の大将という世間の評判になったわけです。すると女中さんが怖がって「奥様、警察か憲兵隊にでも知らせたほうが!」というのですが乃木夫人の野際陽子が「好きなようにさせてあげなさい。こんな家なんかかまいません。」と言うのです。
ところが今度はまあ累々たる犠牲者を出しながらも旅順を陥落させると、たちまち英雄扱いで乃木大将の家の周りにまた人が集まってきて「万歳!万歳!」「乃木大将!万歳!」「ありがとうございます!乃木大将!」と叫ぶのです。でまたそれを家の中で乃木夫人の野際陽子が惚けたような顔で聴きながら、この日露戦争で子ども二人を失ったその長男、次男、二人の遺影を見つめるのですな。
乃木大将と言えば、漱石の『こころ』に登場してきますね。明治天皇が崩御されると乃木大将とその夫人も殉死されます。そうして小説の中ではこの乃木大将の殉死が「先生」の自殺の理由の一つになったりします。「明治の精神に殉死」するというような言葉が出てきたりしますが、このあたりが僕にはよくわかりませんでした。漱石の『こころ』は実に丁寧に心情を書き込んであって実におもしろく傑作中の傑作だと思いますが、出来事というかストーリーとしては、坂口安吾が言うように実にバカバカしいと思います(笑)。ま、いいけど。「先生」は “失敗しながら生きるしかない” という諦念はなかったし、またその失敗を胸の底に隠してしまったから、一番の弱みを持ってしまったことになります。ま、そんなことはどうでもいいけど(笑)。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』も読む読むと口先だけで言うだけでなく、一度、ちゃんと読まなくては(笑)。
ま、なかなか現実に生きた一人の人間の実像に迫るなんてことは、なかなかできることではないですね。それは篠田鉱造『明治百話』や子母澤寛『新選組始末記』のような資料集のやうな逸話を集めたような傑作を読んでも、本当はなかなか難しいと思います。ですからそこに小説家が登場するわけですね。作家の想像力で味付けしながら人を生き生きと動かすわけです。でも小説の中で生き生きと動き回っていても、それが実際のその人だったかどうかは誰にもわからないし、人間のこころ模様は渾沌としていますからね。このブログでさえ前回自分で書いたことが自分で信じられないときがよくありますから(笑)。
25日(土)
朝から雨が降ったり止んだり。
朝一番にお風呂場のドアノブに注油して動きを滑らかにする。先日来どうもドアノブの内部に錆が回ったのか、動きがおかしいんだ。
午前中は取りあえず事務仕事。奥さんのプランターのミニトマトが色んできていただけるようになりました。