現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

紅梅の蕾と大麦の圃場と『日蝕・一月物語』

 朝のうちは曇っていたり、少し雨も降ったりしていたが、昼前から晴れてきて、雪もどんどん解けてきました。







 ところが仕事の方はまったくやる気が出ず、机周りの書類はいくつかパンチで穴をあけてファイルに綴じたけれど、ウダウダと過ごしてしまう。昼には囲碁対局を眺めて、その後『日本の話芸』で三遊亭小遊三師匠の「錦の袈裟」を寝っ転がって観たり聴いたりする。


 これも書き忘れていたのだが、もう半月ほど前に平野啓一郎日蝕・一月物語』(新潮文庫)を読了。ええ、映画の『マチネの終わりに』を観て、また平野啓一郎を読んでみようと思ったのでした。実は『日蝕』は1999年に当時最年少での芥川賞を受賞して話題になって、僕もすぐに単行本を買って読みはじめたのですが、50ページほど読んで頓挫してしまったんです。文体がどうも僕に合わなかったのかな。でもね、たぶんね、こんなことを書くと笑われるかもしれないけれど、「あちゃー、やられた!」と思ったんですよね。使う言葉、使う漢字、またそれにつけるルビとか、あと昔話(?)をアレンジして現代にもってくるとか。宇治拾遺とか今昔物語の話を現代にもってくるというようなことは鷗外やら芥川やら、みんなやっているんだけれど、西洋の中世のあたりからそういうのを探してもってくるとか(笑)。「やられた!」と言ったところで、僕が何か書いていたのか、というと何もないんですけど(笑)、漠然とイメージとしてあったんですね。それでその単行本もブックオフで断捨離してしまったのでした(笑)。でまた文庫本で買い直すことになったのでした。
 でも今回読みはじめたら、あまり抵抗感なく最後まで読めました。そうしてやっぱり感心して楽しめました。
 というぐらい『日蝕』はおもしろかったですが、でもそれ以上に良かったのが『一月物語』でした。これはもう泉鏡花の『高野聖』の換骨奪胎というか、オマージュというか。学生時代と20年くらい前にそれぞれ一時、泉鏡花にはまりましたが、そのきっかけが『高野聖』でした。『外科室』も『夜叉が池』も『天守物語』もスバラシカッタけれど。はい。最初の一撃、というやつですかね、『高野聖』でその世界に引きずり込まれました。
 そしたら突然、なんの前触れもなく平野啓一郎の『一月物語』を読んでしまいました。いやー、まいりました。こういうとき普通ならすぐまた本屋さんで平野啓一郎の本を買ってくるところですが、どうも新型コロナウイルスの影響で、本屋さんにいくのもちょっと抵抗があるし、なかなかネットショップでは紙の実感がないので、最初から決めているのならそれでいいのだが、さて次はどれにしよう、という時には選びにくいんですよね。


 いよいよ大河ドラマも来週が最終回「本能寺の変」ということになりました。うーむ。