現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

雨と事務仕事と『食べものから学ぶ世界史』


3日(日)
 思いの外に朝から雨。村の会館の掃除の当番の日だったのだが、奥さんに出てもらって、僕は精米と発送など。

4日(月)
 今日も雨が降ったり止んだり。でも思いの外降水量は少なめ。台風4号の影響で湿った空気が流れ込んできているということですが、台風4号の動きがゆっくりですね。最初のころは10km/hでしたが、今も20km/hだそうです。
 事務仕事で有機JASの申請にかかる費用の助成金の申請書類を作ったり資料をそろえたりして郵送する。応募はしてみたが採択されるかはわからない。

5日(火)
 午前中は雨が降ったり止んだり。午後からは少し晴れ間もありましたが概ね曇り空。
 机の周りが散らかってきているので整理やら掃除やらをはじめたらいくつか農協や銀行に行かねばならないことがでてきてお金の出し入れなど。やれやれ。

 平賀緑『食べものから学ぶ世界史 人も自然も壊さない経済とは?』(岩波ジュニア新書)を読了。いい本でした。岩波ジュニア新書だからまあ中学生や高校生を対象にしているのでしょうけれど、資本主義経済のことがさっぱりわかっていなかった還暦の百姓にもわかりやすくて助かりました。
 うーん、なにをどう説明していいのやらわかりませんが、世界史の本かというと世界史よりは資本主義経済のことが書かれています。
 例えば。「あとがき」には、こんな風に。


 私は農家の出身でも、有機栽培や自然食品を選んでいた家庭の出身でもありません。父はサラリーマン、母は専業主婦で、子供のころの朝ご飯は、白い小麦パンにマーガリンやジャム、卵料理、果物、それに多国籍アグリビジネスの商品「強い子のミロ」という、戦後日本の典型的に典型的な食生活?でした。ただ、広島の田舎へ引っ越したあと、両親は素人ながらも家庭菜園をはじめてくれました。 畑でつんだイチゴをそのまま食べたり、夕食の野菜は(母が)畑からとってきたり。そんな私が東京の大学に入り下宿生活を始めたとき、スーパーで買ってきたほうれん草を炒めて食べて「まずい!」と思ったのが原体験のひとつでした。もうひとつは(話が飛びますが)大学卒業後に留学・就職した香港の離島で、なぜか野山をさまよっていた鶏を捕まえて、初めて自分でさばいて食べた鶏肉を「おいしい!」と思った体験でした。その後、丹波の農村で鶏や鴨やガチョウを自分で育てて絞めて丸焼きにして、タマゴと肉と脂をほぼ自給する生活をした後には、しばらく市販のタマゴや鶏肉は食べられませんでした(味だけでなく、いろいろ考えると)。こうして自然と人とのつながりで育まれた「食べもの」と市場経済における利潤追求のために作られた「商品(食品)」との違いを実体験していたことが、食と資本主義の歴史を研究する今につながったかもです。
 (中略)]

 現在の食と農を良くしたいと思うなら、食と農ががっちり組み込まれている資本主義経済のカラクリを理解しなくてはいけない。なぜなら、肥満と飢餓も、食の不正義も、食と農が気候危機の一大要因になってしまっていることも、山積する問題は全て「資本主義的食料システム」としてはまっとうな成果なのだからという、この本の発案は Eric Holt-Gimenez(2017) A Foodie's Guide toCapitalism:Understanding the Political Economy of What We Eat(食と農の問題に取り組む人たちにむけた資本主義のガイドブック)に基づいています。資本主義が好きでも嫌いでも、私たちが生まれる前から空気のようにその中で生きているオペレーティング・システムを理解しなければ、そのOSに組み込まれている、食、農、環境、健康、格差、地域など、すべての問題の真の姿を見誤ってしまうと思うのです。そのため、食を研究しているはずの私が、資本主義について語るようになってしまいました。
 (後略)]

 Eric Holt-Gimenez(エリック・ホルト・ギメネス)さんをだいたい知りませんがな(笑)。英語で書いてあるWikiを日本語に自動翻訳させると「農業生態学者、政治経済学者、講師、作家です。1975年から2002年まで、彼はメキシコ、中央アメリカ、南アフリカで持続可能な農業開発に従事していました。云々」と出てきますな。なるほど。ってまだよくわかりませんが(笑)。

 高校生の時に地理の授業で「緑の革命」って習いませんでしたか?Wikiによると「1940年代から1960年代にかけて、高収量品種の導入や化学肥料の大量投入などにより穀物の生産性が向上し、穀物の大量増産を達成したことである。」と出てきます。このWikiの説明には出てきませんが、「農業の機械化」を含めていう場合もあるようです。基本的には農業の生産性が飛躍的に向上して食料不足にならずに、また農家の暮らしにも余裕がうまれた、みたいなことなんですけれど、その時地理を教えてくださっていたN先生は、ちょっと言葉を濁したような「でも、・・・ごにょごにょごにょ。」とちょっと付け加えられたのを覚えているんですよね。ええ1970年代の後半です。ほんまに覚えてるんかいな?と思われるかもしれませんが、ええ、覚えているんです。なんとおっしゃったかは覚えていないんです。ちょっと小声でごにょごにょごにょとおっしゃったんです。そのことをね、思い出しました。日本の場合、戦後の高度経済成長と重なって農業の生産性も飛躍的に向上して、まさに「食べもの」が「商品(食品)」となっていく時代と重なりますね。地理のN先生は、教科書には書いていないけれど、そういう「緑の革命」の矛盾点というか弊害についてごにょごにょごにょとおっしゃったんじゃないかと思ったんですよね。この本を読んでいて。
 もう20年ほど前(もっと前かな?)から日本の格差社会についての新書がベストセラーになったりして、「一億総中流社会」から「格差社会」になった、なんて言われていますけれど、「勝ち組」「負け組」なんて言葉も流行りましたね。考えてみれば、「一億総中流社会」だったというのも幻想のようなものだったかもしれませんね。国民の大部分が総じて貧しかった、というのは真実かもしれませんが。でも基本的に資本主義社会というのは「格差社会」だろうし、「格差社会」になっていくものですね。とはいえ、一般庶民としては「格差社会」は暮らしにくいと感じるわけで。(せめて幻想でもいいから)「頑張れば暮らしがよくなる。頑張れば世の中が変っていく。」と思えなければ、頑張って勉強しよう、仕事しよう、自分の頭で考えよう、子や孫のためにも知恵を出そう、という気(意欲)にはなりにくいですわな。そういうところが本当に怖い気がします。
 あはははは。なんて、百姓には不相応なことを書いてしまいましたが、ま、この本を読んで、そんなことを思ったんです。あしからず。ぷぷぷ。

6日(水)
 雨は上がっています。台風4号温帯低気圧に変ったとのこと。曇りの予報ですが。今日は午前中から農談会があったりする。