現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

音声入力と吉野弘の「生命は」とコーヒーを飲むこと


 昨日のブログで、コンピュータの音声入力について書きました。今回は、以下、すべて音声入力でやってみたいと思います。

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28日金曜日
午前中は精米など。午後は長男が昨日作業を終えたシーダー(ハッシュ生播種機)の掃除をしてくれました。僕は明日、農事組合の寄り合いがあるので、その資料作りや通帳の記帳など。農協からの帰りに買い物がてらちょっとドライブ。快晴の空が高く爽やか。スマホの中に入れてある音楽からラムゼイ・ルイスを選んで鳴らしてみる。 ファンキーなんだけれど、どこか上品でご機嫌だぜ(笑)
前回のブログで生命はどれもこれもが不揃いです。そうして、不揃いが、不揃いのまま、お互いに補い合って生きている。生命とはそういうものなんでしょうな。)と書いたのですが、書いている時意識していたのは吉野弘清明「生命は」と言うでした。大好きなです。

生命はスペース善の大    吉野弘

生命は
自分自身で完結できないように
作られているつくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不十分不充分
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする


生命は全てすべて
そのなか欠場欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ


世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
時にときに
疎ましくうとましく思えることさえも許されている間柄
そのように
世界が緩やかにゆるやかに構成されているのは
なぜ?


花が咲いている
すぐ近くまで
アブの姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私もあるとき
誰かのためのアブだったろう

あなたもあるとき
私のための風だったかもしれない



29日土曜日
私は家で飲むノンアルコールの飲み物はもっぱらお茶ですが、ここ数日、カップの上に紙製のスタンドを立てて既に引いて挽いてあるコーヒー豆にお湯を注いでコーヒーを入れる淹れると言うスタイルの鑑識簡易式のやり方でコーヒーを入れて淹れて、ここ2 3日二、三日飲んでいます。頂き物です。コーヒーカップは持っていないので、20年以上も前、沖縄で86人やちむんの絵付け体験をしたときのカップ。 今ならもう少し上手に絵付けできる気がするのですが(笑)

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 というわけで、キーボード入力に戻りました(笑)。スピードはどうだろう?いちおうブラインドタッチもできるので、そこそこ早くは入力できるのですが、たまにうち間違いもあるし、変換ミスもあるし、それを見逃すこともあるし、音声入力とどっこいどっこいのスピードかなぁ。音声入力はだらだらとしゃべっていけば、そのままだらだらと変換してくれるので、あとで前に戻って最初から確認し直さないといけないのがツライか。あと句読点はきちんと変換してくれますが、スペースはうまくいきませんでした。あとアナウンサーとかはっきりしゃべる訓練をした人だと、もっと正確に認識してくれるのかもしれませんね。今回は、「えーっと」とか、「うーんと」とかを言わないようにして、ゆっくり目でコンピュータに話しかけました。頭の中で文章を組み立てながら話すのが難しいですね。疲れます。詩の部分は朗読したのですが、朗読は楽です(笑)。うだうだと独り言をして、それが読みやすい文章になるかどうかは、難しいです。後半のコーヒーを淹れるやり方の説明とか、頭の中がこんがらがっていたので、なんだか長い文章になっていて、わかりにくいかも。

 さて、今日は朝のうちに精米などをして、大豆の刈取りの準備をしないと。そして夕方から寄り合いです。頑張るぜぇ。