現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

研修と精米と草刈りとヘアリーベッチと大麦と乾燥機の撤収と開高健の講演を聴くこと



 ↑晩秋の夕暮れの光と大麦


 ↑へアリーベッチも芽が出てきました。わかりにくいけど(笑)。でもこのあと毎年雪の下で消えかかったりするのですが・・・。寒さや雪に負けずどんどん成長していってほしい。頼むぜぇ。

24日(木)
 有機農業の研修で甲賀市三重県の津市へ。あれこれ刺激を受ける。長男は大豆あとの圃場の草をモアで刈ってくれる。
 夜、大工さんと話。

25日(金)
 午前中は精米など。
 午後は有機栽培大豆の選別。物理的なサイズによる選別です。夕方、大豆のコンテナも返却。

26日(土)
 昼過ぎまで精米など。
 午後は大豆を入れていた箱形乾燥機を分解して収納。長男は大豆あとの圃場の草をモアで刈ってくれていたんだが、夕方、トラクタのPTOのシャフトのコネクタのところが破断する。やれやれ。

27日(日)
 午前中は村の道路愛護活動でゴミ拾い。

 そう言えば、落語や講談や浪曲もいいけれど、ふと思い出して、開高健の講演会を聴いてみよう、と思い立つ。CD2枚組のやつを2種類スマホに入れています。ええ、文学・言葉の話、戦争の話、釣りの話などを語っています。「小説家は講演が上手になると小説が下手になる」といつもの、定番のマクラから始まって、開高ファンとしてはいろいろ楽しいです。けっして下手な話じゃないです(笑)。だから晩年・・・(笑)。

 例えば。こんな話。


 例えば、私がある女友達と、例えばですよ。レストランへ行ったとします。それでロウソクのキャンドルライトで食事したとしますね。そうでなくても薄暗い中で食事したとする。薄暗い中で光っている、こちらが大いに関心を寄せている女性の目っていうのは、これ以上の宝石はないと私は思っているんですけれども、それでその目ばっかり見つめて、私は食事をし、お酒を飲み、大いに楽しんで、いい気持ちになって、外へ出て別れる。別れてから、一町ほど行ってから、愕然とあることに気がつく。つまり私はその女友達の目ばかり見てたんだけれども、よくよく考えてみるとその女友達の目は、私とその女友達の間の中間にある一点か、もしくは私の後ろのあたりを見ていたんであって、私を見ていたんではなかった、ということに気がつく。例えばですよ。フランス語ではこういうのをアムー・アメールって言って苦い恋って言うんですけれども。それで私は苦い傷を受ける。傷を受けると人間はそれを克服しなければならないんで、勝手な理屈をいろいろ考え出すんです。しかし、どうしても私の勘に過ちはないと思う、ここが出発点で、彼女は私を見ていなかった。関心が私になかった。恋というものは最初の一瞥でだいたいのところは決まるような気がするんで、何度もそれ以前に食事をしていてわかっていなければいけないのに、未練があって、あるいは、こちらに過剰なものがあったために、最初の知性的な認識を踏み外してしまって、どうも私のうぬぼれか、間違っていた。彼女は私を見ていなかったけれども、そうするとあれは何を見ていたんだろう、とか。しかし恋は押しの一手ということがあるから、知らぬ振りしてもう一度再三攻撃をやるか、二百三高地という例もある、と考えたりもするし、いや、年甲斐もない、とささやく声にも耳を傾けたり、とつおいつ迷う。それでまあ日が過ぎていくんですけれど、そうするとその時、これ全部、例えの話ですよ。えー、いろんなコンペンセイションというか補償作用があったり、弁解したり、ときになんだあんなつまらない女と言ってみたり、いや、そうでもないと思い返してみたり。という風なことをやりますけれども、これは後から出てくるもので、最初につきまとって離れない、それから私の薄暗い意識の中でこう浮き沈み、明滅するのは、そのロウソクの光の中で、夜の湖のように輝いていた、その、女友達の目である。その目がつきまとって離れない。つきまとって離れないものは私にいっぱいありますけれども、たとえば、そういう目がある。そうするとこの目を何とかして克服しなければならないということになってきて、ええ、そういうわけで、・・・・・・。

 これは言葉について語っているところの挿話なんですが、「夜の湖のような目」については、どこかで同じような文脈でエッセイだったか、小説だったかで、書いていたのを覚えていますが、やっぱりこの比喩はすばらしく、こんな言葉を不意に聴かされてしまうと、頭から離れないし、急に思い出してしまうことがあったり。昔、大昔ですが、確かにキャンドルライトの薄暗い中で光っていた女性の目を思い出して、「心の内は来し方行く末の事も,来ん世の闇もよろづ思ひ忘れて」クラクラとしてしまったりするのでありました(笑)。

 開高健は小説家以上に、釣り師とか、グルメ(美食家)にしてグルマン(大食家)として、あるいは飲み助として、有名になってしまっているような気配もありますが、って亡くなってからもう30年以上経つので、今、読んでいる人も少なくなってきたかも。
 開高健はいろいろうまいものを書いているけれど、やはり思い出すのは、日本海の荒波の音が聞こえる民宿でむしゃぶりつく蟹なんですが、岡山の桃とか松阪牛のすき焼きも忘れられません。すき焼きは「和田金」でしたね。松阪には「和田金」と「牛銀」という有名店があります。金と銀ですな。
 ちょっと年増のおねーさんに世話して焼いてもらっていただくのですが、昔、食べました。おいしかったです(笑)。