「さすが伊之助!」NHKのテレビのアナウンサーが叫んでました。なんだかんだと今日はバタバタの一日で、家に帰ってきたら、結び前の前頭三枚目の翠富士(3勝2敗)と関脇の豊昇龍(4勝1敗)の一番。もつれにもつれて長い一番になって、土俵際、豊昇龍の寄りと翠富士の突き落とし。ほとんど同体に見えましたが、じーっと見ていた立行司の式守伊之助、さっと翠富士に軍配をあげました。でもすぐに「物言い」がついて協議。ま、私もアナウンサーも解説者も「物言い」がつくのも当然だと思ったようなのですが、協議のあいだ中、行司の式守伊之助は憮然とした表情なんですね。今、式守伊之助は立行司ですからね、行司のなかでは最高位です。そうそう「差し違え」も許されませんしね。テレビでは何度もスローモーションでいろんな角度から土俵際の動きが流されていましたが、アナウンサーも解説者も判断がつきかねるような感じでした。その間もずっと式守伊之助は憮然とした表情が挟まります。協議ではあまり行司はしゃべってないのかな?協議が終わり、「ただいまの協議について説明いたします。・・・・・・豊昇龍が先に落ちており、行司軍配通り、翠富士の勝ちといたします!」大歓声!で、ここで「さすが伊之助!」とアナウンサーが叫んでました。私も思わず拍手してしまいました。で、伊之助の顔のアップになりましたが憮然とした表情のままでした。もちろん内心はハラハラドキドキのはずですが、あんな顔をずっとしていられるのは、自信もあったのでしょうし、誇りもあったのでしょうし。なにより経験があったのだと思います。行司の定年は65歳だということですから、式守伊之助はたぶん私とそうそう年齢はかわらないのだと思います。アナウンサーによると行司は必ずどちらかに軍配をあげなければいけないそうです。まあ、そうでしょうなぁ。行司さんが土俵の上で立ち往生なんて見たことありません(ところが一度あったそうですけど)。
私は「憮然」とした表情と書いてしまいましたが、国語辞典の『大辞林』を引くと「憮然」には三つ意味があがっていますね。
大辞林
ぶぜん 【憮然】 文形動タリ
① 思いどおりにならなくて不満なさま。「―たる面持ち」
② 落胆するさま。「昨夜幽明の郷に逝けり…―として大息する」〈佳人之奇遇•散士〉
③ 事の意外さに驚くさま。「一たび日本の秋を看るや,忽ちにして―自失すること」〈日本風景論•重昂〉
漢和辞典の『漢辞海』には二つの意味があがっています。
漢辞海
【憮】《形》
①心がむなしいさま。失意のさま。
② 美しい。みめよいさま。
【憮然】
① 失意でがっかりするさま。〈論・微子〉
② 意外なことにおどろくさま。〈後漢・禰衡伝〉
最初に書いておきますが、意味の項目が、大辞林は三つで、漢辞海は二つだから、大辞林がえらい、というわけではないのです。国語辞典と漢和辞典の違いもあります。『漢辞海』は中国の古典や漢文を読む時に使いやすく頼りになることを目的にして作られた辞書です。出典の作品の時代をみても、もともと二つほどの意味だったのが、日本で「思いどおりにならなくて不満なさま」という意味でも使われだしたのかな?と思われますね。いや、本当のところは辞書づくりの研究者の先生に訊ねなくてはわかりませんが。
大学生の時に私は少しだけ「校勘」とか「校勘学」に触れたことがあります。と書くと私がなんだかすごく優秀で真面目な学生だったように思われてしまうかもしれませんが(笑)。本当にちょっと触れただけで、そういう学問がある、ということを知っただけですけど。
『大辞林』には「数種の異本を対照・比較して,正確な原本の姿を求めようとする学問。考証学の方法の一。中国,清代に盛んになった。」とあります。という説明を読んで「なんのこっちゃ?」と思われる人が多いかもしれませんが。文学という詩や歌や物語をあつかう学問もやっぱり科学的な論考の上にあるものだ、ということを、地味な学問(?)や辞書作りにふれることでしみじみと感じたことでした。
ええ。いや。なんだか今日はふだんは地味な行司の矜恃にふれたような気がしましたので。うーむ。いや私の下手な文章では伝わりにくいでしょうけれど、「さすが伊之助!」とNHKのテレビのアナウンサーが叫んだ時に、感じてしまった何かがあるんですね。それはすぐに影響されて心がうつろうという悪い面かもしれませんが。
↓今朝の散歩で動画撮影。小鳥と小鳥の声が撮れました。いや、技術的にはひどいものなんですが(笑)。