現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

タイヤ交換と草刈りと『クーリエ:最高機密の運び屋』とリーダーの失敗と万葉の相聞歌


 ↑有機栽培「コシヒカリ」用に昨秋に播種したへアリーベッチ。これからどんどんと伸びていってほしい。繁茂して空気中からたくさん窒素分を固定してほしい。頼むぜ。
7日(火)
 天気がよくて暖かい。
 午前中はクルマ三台のタイヤ交換。スタッドレスからノーマルに。
 長男は農協のキャベツの収穫コンバインの様子を見学にいったりする。
 あ、H3の試験機の打ち上げ中継を観たけれど、なんと二段ロケットに点火せず、指令爆破信号を送ることに。うーむ。残念ですな。
 午後は畦畔の草刈りに。明日、東川の法面の枯れ草を燃やすことになったので、うちの田んぼのところの枯れ草をちょっと刈って、燃えやすくする。あと有機のところの圃場の畦畔を刈る。

 ドミニク・クック監督『クーリエ:最高機密の運び屋』(2020)を観る。なるほど。楽しめました。米ソ冷戦時代のスパイの映画。ベネディクト・カンバーバッチが熱演していますね。派手なドンパチはありませんが緊迫感を盛り上げます。ある意味、友情と信用の物語。


8日(水)
 今日も早起き。でもだんだん日の出というか東の空が明るくなってくる時間が早くなってきているのは感じます。

 日本農業新聞の7日付けのコラム。もちろんほとんどの今の農家は大工場で作られてくる肥料を買って田んぼや畑に撒いています。私も慣行栽培の圃場ではそうしています。でも肥料の高騰も含めていろいろ問題があるのは確か。あ、でも今、米農家以上にいろいろ大変なのが酪農関係者であるようです。
 農業の問題をなんでも政治のせいにするつもりはまったくありませんが、これなどは明らかに農政の失敗だと私は思っています。日本の国のリーダーの一番悪いところは失敗した時に、失敗したと言わないことです。内心失敗したとわかっていても、それを認めないことです。認めたら終わりだと思っていることです。失敗を認める勇気もない人がリーダーになっていることです。誰でも失敗をします。いつでも失敗をします。懲りて同じ失敗を繰り返さないというのが進歩ですが、ま、同じ失敗を繰り返すこともあります。リーダーが失敗の責任をとって交代したからといって、その人の人としての信用がなくなるわけではないです。逆に失敗を認めずに反省がなければ信用はなくなります。
 例えば。
 このところ何年もお目にかかってはいませんが、てっちりもてっさも私は好物です。でも誰がフグのさばき方を確立させたのか。シイタケもエノキもシメジも大好きですが、誰が毒のあるキノコと食べられるキノコを見分けたのか。物好きで、おっちょこちょいで、好奇心旺盛な、知的探求心のあるリーダーがいたのですが、生命をかけた失敗の連続だったはず。彼らは笑いものになったか。今でも笑いものでしょうか。フグやキノコと農政は違う(笑)とおっしゃるかもしれないが、失敗を失敗としてそこから学びやり直していこう、という気持ちがなくては、信用は得られません。
 先日のNHKスペシャル南海トラフ巨大地震のドラマも、後半、総理大臣が地震に気をつけるようにという感動的な(?)スピーチをテレビでするのですが、あのスピーチに欠けていたものは、地震津波原発に対する懸念です。それがあのドラマの中では一言も触れられていません。あの苛烈な経験をしているにもかかわらずです。失敗に触れられていません。だからたぶん国民にはドラマの中の総理大臣の言葉はあまり響いていないと思います。言葉とはそういうものだし、信用とか信頼というのはそういうものだからです。
 気楽な私は、H3の開発プロジェクトにかかわっておられる方々には、おいしいフグ料理やおいしいキノコ料理でちょっとリフレッシュして研究開発を続けて欲しいと思っています。フグとキノコのどんちゃん騒ぎも三日三晩となるとあれだけれども、税金でどんちゃん騒ぎは一晩だけにして、あとの二晩は三菱重工業さんで頼みます(笑)。


 『万葉集』の相聞歌のなかでは、わりと有名な歌だとは思いますけれど、「あなたと逢うとつい顔を隠してしまうのに別れたあとからまたあなたに逢いたいと思ってしまうのです」という感じでしょうか。百人一首のカルタには、「逢ひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」というのもありました。この詠み人知らずの作者不詳の歌を知ったのは学生時代ですけれど、その時には「見る」というのは、現代の「見る」ということだけではなくて、 会う。特に,異性と会う。また,男女の交わりをする。夫婦として暮らす。というような意味でもある、と知っていたので、いろいろと思いが揺れたものでした。でも初々しい女性を思い描いていましたけれど。もっとも万葉時代の女性の結婚年齢は13歳から18歳くらいだったんじゃないか、という話もありますし。
 なんで急にこの歌を?というのは、昨日だったかSNSでこの歌を「いざ向きあえばあなたの視線に耐えられない私 なのに会いたい会いたい会いたいあなた」と現代語訳している人がいて、ああ、すばらしいなぁ、と思ったからです。後半はリズムもいいですねぇ。ああ、いえ、自分のことを思い出してウキウキしているのではありません。私もそこそこの年齢になりまして、男女のことは今の若い人も万葉の時代の人と同じように感じているはずなのに、結婚年齢がが上がり、少子化がすすんでいることに、いらぬ心配をしている、ということなんですが(笑)。