現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

明日から田植え第三弾


24日(木)
今朝の日本農業新聞のコラム「万象点描」の森久美子氏の文章、以下その要約。

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北海道にも、やっと遅い春が訪れた。色とりどりの花が一気に開花して、百花繚乱という言葉がぴったりな美しい風景に、心躍る。
艶やかに赤みを帯びた花びらが散り始めた八重桜、今が盛りと咲く紫のライラックやピンクのツツジ。木々の彩りの鮮やかさが、低温と豪雪に悩まされた冬の疲れを癒してくれている。
散歩の途中で見つけたヨモギの若芽を見た途端、幼い頃に祖母が作ってくれた草餅の香りが、春の風に乗って花をくすぐった気がした。


お店で買ってくる和菓子と違い、祖母の草餅は、ヨモギがたくさん入った濃い緑色だった。せっかく作ってくれたのに、当時はあまり美味しく感じなかったことを、今は申し訳なく思っている。
フキノトウ、ウド、タラの芽などの山菜や、ヨモギ、アサツキ、ニラなどの春の野菜は、どれも苦味と香りが強く、子供の頃は好きにならなかった。箸が進まない私に入った祖母の言葉は、呪文のように耳に残っている。
「ハルはメのもの」
ところが今年は、長く厳しい冬が終わったときに、体の中から内なる欲求があって、その言葉の意味が突然わかった。「春は芽のもの」と言っていたのだ。
春の野菜の芽ものを食べることは、冬の間眠っていた体を起こし、新陳代謝を促すスイッチを入れる役目をする。祖母は体でそれを知っていたのだろう。
そういえば、昨年までやっていた農業や食の専門家と会談するラジオ番組で、食品栄養学の研究者に、野菜の苦味についてうかがったことがあった。食べる側の視点で、体に良いという成分は、食べられる側の植物にとっては、どういう役目をもっているのか教えていただいた。
植物だって、自分の身を守りたい。虫や動物などの具体的に食べられないための防御本能で、苦味の成分をもち、紫外線から自身を守るために抗酸化作用のある物質を作り出しているのだという。人間は野菜を食べることによって、それを体に取り込んで生きている。
私はよもぎ摘みに出かけた。体が健康に役立つ成分を求めているのと同時に、子供の頃に舌で覚えた味を懐かしむ、味覚の里帰りをしたいのかもしれない。祖母から母へ、母から私へとリレーのバトンのように引き継がれてきた家庭の味を、途絶えさせてはならないことに、もっと早く気づけばよかった。


ヨモギの若芽を茹でると、家中に芳香が立ち込めて、何ともいえない幸せな気持ちになった。緊張を緩めてくれたり、脳を活性化させて気持ちを前向きにしたりする効果もあるようだ。
茹でたヨモギをすりつぶし、上新粉で作った餅に練り込み、作り置きのあんこを入れて草餅を作った。熱いうちに口に運ぶと祖母を思い出して目頭も熱くなった。
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既にこのあたりは初夏であり、ヨモギも畦畔の草刈りに出ると大きく育っていて、刈払機をギュンギュンと回して刈ってしまうという季節ではあるのだが、僕も昔、祖母がよくヨモギ餅を作ってくれたのを覚えているし、ご近所のおばやんやおばあさんたちと連れ立ってヨモギ取りに出る祖母に一度ついていった記憶がある。なんだか皆さんよくしゃべっておられたというかすかな記憶。


25日(金)
ポツポツと朝から午後まで雨。
ちょっと迷ったが、カッパを軽トラにいれて、草刈りに出る。最初はカッパなしで刈っていたのだが、ちょっと強くなったので、カッパを着る。カッパを着てしばらくしたら、雨が止む。雨がやんだらカッパなど着ていられない。慌ててまた脱ぐ。脱いだらまた少し強く降って、またカッパを着た。しばらくしたらまた小雨になり、暑いので、もう、どんなに降っても今日はもう着ない、と宣言してまた脱いだ。やれやれ。
そんなこんなで昼過ぎまで草刈りをして、午後は田んぼに出ずにすませる。


26日(土)
なんだか風も少なくいい天気で、今日から田植えにすればよかったのだが、まあ、代かきのあとの土のおさまり具合もあるし。田植えは明日から。
予約のお米の発送やら、畦畔や田んぼ道の草刈りなど。


夕方、次女をスイミング教室に連れていったのだが、待っている間に吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)を読み始める。なかなかいい感じ。