現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

宮崎駿長編インタビュー

チェット・ベイカー・シングス

子供たちのタンスの引き出しが壊れたので修理する。うーむ、だいたい詰め過ぎなんだよなぁ。だから引き出しが動かなくなって無理に引っ張るので、引き出しのところが外れてしまうようなことになる。まあ、引き出しの箱の組み方の問題もあるんでしょうけどね。ダボで止めてあるんだけど、これが抜けたわけです。うちのやんちゃな、整理整頓の苦手な子供たちの衣装整理箪笥の引き出しに強力接着剤とダボ止めの引き出しでは無理があるということでしょう。ちゃんと組んで作った引き出しでないと無理は利かないということなんでしょうけど。きちんと細工して君だやつはそれなりの値段ですからね。手抜きなく当たり前のことが当たり前にしてあるものには当たり前ですがそれなりの対価が必要です。ま、でもタンスの引き出しに無理やり衣服を突っ込んではいけません。


昨日に続いてYouTube宮崎駿 長編インタビュー」というのを観る。
「イマジネーションの源泉というのはどこらへんからくるのか」という質問から話が広がりました。
「子ども時代に見たもの、聞いたもの、読んだものの累積をみんな持っているはずなんですよね。昔の貧しかった日本。何となく薄汚くすればそれが日本なのか、そうではないはずなんです。ぬかるんだ泥の道を歩いた時でも、その泥の道をきれいなものだと感じた人たちはいたはずだから、そういうい感覚の画面を作れないのかな、と。
昔といっても、近代の、明治大正昭和のある時期までで。自分たちの親たちが見ていた風景を舞台にしてハイジのような映画が作れないか、高畑とも話すんだけど、とても作れない。
どこかでそのころともう自然観が違っている。ものの感じ方や考え方がね。昭和の農村が不況でひどい目にあったとか、昭和は惨憺たるものでもあったからね。人身売買があったとか、女工哀史があったとか。
でもその中でも両親が大好きで育ってきたとか、かけがえのない想い出を持って育ってきたとか、そういうのを聞くとなにかこう映画が作れるはずだと思うのだけれども。それこそが、実はこの国にとっていちばん求められている映画だ、とは思うのです、そこまではわかるんです。
でもそこから先、文学をさがしても、なにもないんですよ。貧乏で惨憺たる生活を書いたものはあります。農民文学で、農政がなってない、ひどいことになってる、というのはあります。でもそのなかでも、そうはいってもけっこういいんだ。というのが、ない。
郷土資料館は全国にたくさんあるから道具とかの資料はたくさんあるんです。山があったほうがいいだろうとか、きれいな川があったほうがいいとか、雪もあったほうがいいとか、長野の安曇野あたりをイメージしてアニメーションを作るかとか、そういうことまでは考えられるんだけど、じゃあ、どういう話にするのか、それで成り立つのか、ということになると、もうわからない。
そこには文学の方からの先導がないと、アニメーションでオリジナルでやるには壁が厚いんです。」ま、簡単にいうとそのようなお話でした。
今と比べるとひどい生活と思われている昭和の戦前の百姓の暮らしぶり。その中にも幸せに感じることや、いいこと、ワクワクすることがたくさんあったはずだ、と宮崎駿はいうのでしょう。許すことのできないこと、看過できないことはたくさんあったのでしょうけれど、それとは別の次元で(?)幸福感というか、幸せに満ちた日々の暮らしというものがあったはずで、それをアニメーションにしたいということなのでしょうか。
いや、つくづく自分の生活ぶりを考えさせられます。あれこれあるけど「そうはいっても、けっこういいんだ。」とは百姓を続けてきた人、百姓を始めた人の胸の奥底にあることなんだろうと思います。


Chet Baker なんだか男前に見えませんが。「Chet Baker Sings」好きなレコードです。好悪が激しくて、チェットベイカーの歌う声を聴くと虫酸が走るという人もいるようですけど(わかる気もします)、僕はやっぱり好きですね。男前なんですが、なかなか僕が描くとそうは描けないのですけど。この三色の色使い、カッコいいです。