18日(日)
晴れ。終日、大豆の畦畔の草刈り。概ね、畦畔は終わったか。・・・。
19日(月)
午前中は、大豆の畦畔の草刈り。
午後は、トラクタのオイル交換をして、来年の無農薬有機栽培の緑肥にする菜の花を播種しようと、耕起しに出たが、日没終了。
夜の間にちょっと雨が降ったりしたことはあったが、日中は晴れの日が続いている。もう何日続いているのだろう。まあ、仕事は天気仕事なので、仕事は出来ていいのだが、休みなく仕事が続いているので、肉体疲労児になってしまいますがな。
これはちょっとデータを調べてみなくては。グラフ化すると、ちょっと安心したりするのだ(笑)。
前回の日没動画だけれど、日没でなくて落日とすべきだな。とふと思い直す。昔読んだ井上靖の散文詩に「落日」というのがあったと思い出した。
画像は早朝の庭の小菊。
購読しているメルマガに載っていた文章の一部。
私はこのごろ、親が生きている限りは、絶対、親の年に追いつくことはできないけれど、親が亡くなってしまうと、年毎に親の年に追いついてくるという、ごく当り前のことに気づいて何やら感慨深いものがある。
亡くなった親の年に近くなればなるほど 親とは懐かしいものだ。”子を持って知る親の恩”ではなく、”親の年に近づいて知る親の心”のような気がしてきている。
そんな感情の点から言っても、息子達には五十歳を過ぎた時点で、私の書いた本を読んでおくれ、と言いたいのである。
以上のような気持が、最後まで筆を進める活力となった。
昭和五十五年一月 竹永小夏
これは竹永小夏さんの『女のこころ』のあとがきの文章の最後のところです。この昭和五十五年というのも、なんだかしみじみさせるものがある。それは昭和五十五年の四月から、僕は初めて親元を離れて下宿生活をはじめたからだ。今では自分の子どもがアパート生活をしている。時は流れますな。いや、時が積み重なりました。いや、やはり時は流れました、かな。
瀬川深『チューバはうたう〜mit Tuba』(筑摩書房)読了。チューバはうたうは太宰治賞受賞作だけど。ぼくは併録されている短編『飛天の瞳』と『百万の星の孤独』の方がよいと思いました。短編の方は、両方ともスケッチみたいな作品だと思うけど、とくに『百万の星の孤独』はグランドホテル形式(?いや、自信はないが。)で、なんだかいろんな人間が水彩画のように描かれていて、読んでいてなんだか気持ちいい感じで楽しめました。プラネタリウム、確かに行きたくなりました。もう15年以上前、名古屋で星空を眺めはじめたのだが、解説の男性の声がやさしく、ものの3分で熟睡してしまって、気がついたら、星空は朝を向かえていたのでした。もったいないことでした。
19日の中日新聞の学童紙上展。小林先生の短い評がやっぱりいいです。