現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

大豆の選別と養老先生の講演要旨


午前中は大豆の選別。午後は乾燥機に大豆を入れる。
夕方、散髪とちょっとした打ち合わせ。


午前中は乾燥機からコンテナに大豆を入れ、コンテナの大豆を選別機に入れ、選別し終わった大豆を袋に入れて軽トラに積み、帰ってきて、また軽トラから下ろして作業所に積んだ。午後は車庫に広げてある大豆をコンテナに入れ、またコンテナから乾燥機に入れた。
米の作業はわりと米を持たなくてもいいようにあれこれ工夫しているのだが、大豆の作業は、今日も箕で大豆をすくってはコンテナに入れたり、選別機に入れたり、乾燥機に入れたりという作業になるので、まあ、無理しないようにゆっくりやるのだが、それでもたいそう疲れる(笑)。


今朝の中日新聞に、養老孟司氏が中日懇話会で講演したという記事があって、その講演要旨が載っていた。演題は「今の世間をどうみるか?」ということだったらしい。「今の世間」というのが、養老先生らしくていい。
リード文には、「脳科学の知見を交えて、ビルの中で過ごすことが多い現代社会は、感覚を働かせることを妨げていると述べ、変化する自然に触れることの大切さを訴えた。」とある。

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講演要旨は次の通り。
【社会脳と非社会脳】
マンションなどのくい打ちのデータ偽装は、近代社会の根っこにある問題だ。くいを打って支持層に到達しなければ、誰だってやり直す。ただ納期も守らないと気持ち悪い。そこがぶつかる。
人間の脳の働きには、人間関係で動く「社会脳」と数学の問題を解く時などに使う「非社会脳」があり、働いている場所が全く違う。赤ちゃんは生後2日目から「社会脳」が働いている。お母さんがいないと騒ぎ、来たら直る。要するに人間関係だ。
大企業でトップに立つような人は社会脳が優先している。このことが寸足らずのくいを打つ事と関係しているのでは、と私は疑っている。
【情報は変化しない】
情報という言葉は、私の学生時代はほとんど使われていなかった。諸行無常と言われるように、すべてのものは移り変わる。だが一旦情報化すると変化しない、これが情報の特徴だ。最近は学校で「勇気」という徳目が死語になった。実はこれが情報化と関係がある。
【感覚軽視】
変化せず確実な情報に対し、違いは感覚でとらえる。現代社会は違いをどんどん無視し、減らしていく。外は気温も天気もどんどん変わるのに、ビルの中は一定にしている。文明人になるには感覚を無視することが必要で、文明社会は感覚を働かせないようにする。
もともと日本の文化は感覚優先だ。細部に富んだ自然と深い関係があるのだろう。「雨がしとしと」といった感覚的な言葉は英語にはない。人は生き物だから、変化する環境の中で生きてきた。変化しないビルの中でずっと過ごすのは、まともなことなのか。一度考えてみてほしい。
現代人は全てを先延ばし、先送りにしている。子供が典型的で、次はこの学校に行って、どこに就職して、と絶えず準備で動く。うっかりすると、現代人は生きそびる。「やってみないとわからない」と言うと今は人を説得できないが、結果が予測できないときに一歩を踏み出すことを勇気と言うのではないか。
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相変わらず養老先生の話は、結論めいたわかりやすい言葉で語られないので、わかったような、わからないような気にさせられる(笑)。中日新聞の記者の要約からもそれが伝わってくるところが、すごい。
新聞記事の要約を書き写したのは、最後あたりの「現代人は全てを先延ばし、先送りにしている。」とか「うっかりすると、現代人は生きそびる。」「結果が予測できないときに一歩を踏み出すことを勇気と言うのではないか。」という言葉に、妙に感じるところがあったからだ。
リード文に「変化する自然に触れることの大切さを訴えた」とあるが、臨機応変をモットーとせざるを得ない百姓としては、「変化する自然に触れること」は当たり前のことだ。でも最近はとくに、鳥獣虫魚はもちろん草花や野菜でも、そのまるごとを観たり触れたりすることが軽視されているなぁとはつくづく感じます。人が汗をかいて労働することとか、筋肉痛や肩凝りになったりする直接的な感覚のことも含めて。


それから新聞で北の湖親方の記事や評伝を読んでいたら、妙にジーンときてしまった。中学時代に通っていた床屋さんが、北の湖の相撲のファンで、「強すぎて人気がないけどな、若いのに礼儀正しく、落ち着いていて、下のものの面倒見がとてもええんや。横綱ってそういうもんやと思うけどな。」と散髪しながらしゃべってもらったのをおぼえている。