現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

新聞の記事のことなど。

24日(月)
朝から空気が入れ替わったように風も吹いて爽やかな天気。晴れてるけどそんなに暑さを感じない。
朝、田回りをして、もみ殻を捨てるリヤカー等の準備、乾燥機の集塵機の設置などをする。


午後は長男の用事につきあい、夕方から次男のスポ少の野球の練習試合。審判をする。沈みゆく三日月を眺めながらの夜風が冷たい審判でありました。


夏への扉』、昨夜は1ページ読まないうちに寝てしまった。


25日(火)
乾燥機を動かしてみたり、昇降機を動かしてみたり、ベルトの張り具合などの点検。換気扇のダクトを止めておいたガムテープが試運転ではがれてきてしまったので、また4メートルまで梯子であがってビニール紐と肥料袋で固く縛って固定。
朝夕の田回りなど。連休植えの「コシヒカリ」はそろそろ落水で、明日の朝尻水戸をきるつもり。


24日付のの新聞の記事はあちこち興味を引かれた。日本農業新聞では
日本政策金融公庫の個人・法人の08年農業経営動向分析。「燃油・飼料高騰が直撃」「肉牛と花卉大きく悪化」「米・きのこは増収増益」というのが見出しでした。去年は米はこの辺りでも豊作でしたからね。
それから「食料自給率アップの背景は?」という解説記事。農水省のまとめによると08年度のカロリーベースの日本の食糧自給率は40.9%となり前年度比1.1%上昇したのだが、国産の供給熱量は米の消費が一人当たり61.4㎏から59kgにまで落ち込んだことが響いて、去年よりわずかに下回りました。それでも自給率が上がったのは自給率計算の「分母」となる供給熱量全体がそれ以上に大きく前年を下回ったからです。国際的な穀物価格の高騰や少子高齢化、ダイエット志向による影響が指摘されています。ですから今回は国内農業の発展によってというより、市場規模の縮小によって結果的に食糧自給率が上がった形といえるでしょう。


中日新聞の1面「生活選択 マニフェスト徹底比較 第七回 農業」衆議院選挙特集ですけど、大きなゴチック体の見出しは「低い所得 後継者不足」です。「日本の農業が危機に直面している。」と始まるのだが、「なぜ、後継者不足になるのか。“もうからないから”の一点に尽きる。」という展開で、いやはや。「泣けるぜぇ」と「ダーティ・ハリー 4」のハリー・キャラハン風に口ずさんでみたくなる。


それと日本農業新聞養老孟司先生の文章。以下要約。

天候異変で思う  変化に弱い現代社
 今年の夏は、天気がおかしかった。私の住んでいる鎌倉でも、夏の花火大会がなくなった。天気だけではなくて、不況その他、さまざまな都合が重なったのだと思うが。
単一品種の弱み
 虫の世界では春先から実は変だった。私が集めているヒゲボソゾウムシは逆に当たり年で、箱根や伊豆では普段の10倍ほど数が捕れた。もちろんそれが天気のせいかどうか、それはわからない。ともかく普通の年とは違っていたのである。
 夏の日照が乏しいと、ほとんどの農作物は駄目である。考えてみるとそういう状況は少し変ではないか。ヒゲボソゾウムシではないが、今年は作柄が妙にいいという作物があってもいいはずである。日照は毎年同じだという保証はない。
 作物は収量を上げようとして、できるだけ条件を統制する。しかし生き物は機械ではない。さまざま条件をかいくぐって、何億年も生きてきた。だから、もともと生きる条件にはかなりの幅があるはずである。
 そういう幅を減らして、できるだけ統一するのが、近代文明のやり方である。単一の品種だけ育てたら、病虫害に弱い、気候変動に弱いということは、素人でもわかる。でもいろいろ混ぜたら、面倒くさくて仕方がない。
基準に落とし穴
 さてなんの話なのか。たとえば教育である。条件を統制して同じように子供を扱ったら、楽に決まっている。成績のいい子だけ集めて教育すれば、学校の評判は良くなる。その種のやり方が、農業だろうが、教育だろうが、おそらく社会全体に広がったのだろうと思う。
 ただし、それをやると基本的な条件が変化した時に、具合の悪いことが起こるに違いない。現代社会の問題って、根本にはそれがあるんじゃないか。このところ私は、それを強く疑っている。
 能力主義とか、評価とか、さまざまな基準を、さまざまな分野で推進した。建築基準法なども同じ類いであろう。伝統建築をやる人に聞いてみると、基準法のおかげでできなくなったことがずいぶんあるという。たとえばお寺を建て直す時に、昔の形では建てられないから、コンクリートになったりする。
 政治でいえば、基準を緩めるのが規制緩和で、小泉構造改革は、今は評判が悪い。それは、規制緩和を規制するのと同じ精神でやったからではないのか。
 規制は一律だが、緩和は多様でなければならない。つまり、全面緩和でなく、基準の違いを許すことなのだが、それは役所には評判が悪いであろう。同じ給料しかもらっていないのに、いちいち面倒なこと、考えていられるか。ほら、ここにも基準の問題が出ているではないか。働こうが働くまいが、お役人の給料は同じである。
 人間は基準を作る。しかし、自然には基準は必ずしもない。しっかり自然を見て、適切に対応するしかない。それを「手入れ」といったのだが、今は手入れは警察にしかない。

養老先生は「だから、どうしろ」とはいつも書かれないのだが、皮肉っぽい書きっぷり、しゃべりっぷりが痛快で好きです。
たしかに「手入れをする」とうのは大事なことなんですけど、忘れられがちですね。それは工業製品がメンテナンスフリーを謳うようになったからでしょうか。農産物にメンテナンスフリーはありません、それは確かに。