現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

子どもがつくる「弁当の日」

今日は朝から曇り時々晴れ。風もそこそこ吹いて午後は少し肌寒い感じ。薄いヤッケを一枚上に着てトラクタに乗る。


午前中はお米の精米・選別・発送。
午後は小麦の圃場の溝切り。溝切りもこれで一応終了。


昨日の日本農業新聞に鎌田實氏の、子供が作る「弁当の日」 「命」の想像力養おう、という文章が載っていた。以下その要約。


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学校給食で、我が子に「いただきます」と言わせないでほしいという親がいるという。きちんと給食費を払っているのだから、言う必要がない、というのがその親の言い分である。この親に、もっと想像力があればと思う。
8年ほど前、四国の山の中の小さな小・中学校で「弁当の日」が始まった。家庭科の授業で、何度も調理実習をしたあと、月に1回、子供たちだけで弁当を作って持ってくるという取り組みである。「親や先生は、手出ししない」というのが、約束だった。
はじめ教師や親たちから、戸惑いの声が上がった。「子供が包丁や火を使って事故でも起きたら一大事だ」「共働きの母親の負担が増えるのではないか」「子供に弁当の作り方を聞かれても、親がどれだけ教えられるか」
だが、そんな懸念を吹き飛ばして、子供たちは見事に弁当を作ってきた。弁当を作りながら、子供たちはいろんな発見をしていく。朝早く起きて、手間暇かけて調理する。「こんなにたいへんなことを、毎日やっているお母さんはすごい!」失敗したヒジキご飯を「おいしかった」と言って食べてくれた両親の気持ちがうれしかったという子もいた。多くの子供たちが、人のために尽くす喜びを知った。
「旬の食材で弁当を作る」というテーマのときには、子供たちはスーパーの野菜売り場をよく見るようになった。それまでは自分の好きなスナック菓子をカゴに入れるとマンガを読みながら母親が買い物を済ませるのを待っていた子が、野菜の名前を覚え、旬に関心を示し始めた。
子供たちの目は、畑にも向けられた。おじいちゃんやおばあちゃんの森で山菜やきのこが採れる季節になった、という声も聞き逃さないようになった。
子供たちは、小さな弁当を通して、その食材を育んでくれた人や台所まで運んでくれた人、それから、命をいただくこととそれを育む自然環境など、さまざまなつながりを想像する力を養っていった。
弁当の日を仕掛けた校長、竹下和男氏はこう語る。
「私は子どもを変えようとしたのではない。子どもの育つ環境を整えてあげたいと思った。その方法としても、弁当の日はとても有効だと今も確信している」
この「弁当の日」の運動は、全国500校の小・中学校に広がっている。もっともっと普及させたいと思い、竹下氏と二人で対談本『創めませんか子どもがつくる”弁当の日”』を書いた。教育だけでなく、農業の再生のヒントにもなるのではないか。ぜひたくさんの人に読んでもらいたいと思う。
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さもありなん、という文章です。僕が百姓になって、あれこれ感じたこと気付いたことは、自分で弁当とつくった小学生や中学生もきちんと感じてくれるのですね。
僕は百姓なので、子供たちが感じてくれたこと以外に、田んぼとか畑とかを開き、それを現代まで守り維持し、家族を守り育ててきた百姓の先輩の苦労と心意気(志といってもいいけど)を感じたりするわけですけど。


グルメのブームは続いているかどうか、そんなことさえわからないのですが、鎌田實氏の言う想像力が足りないという指摘は、なんとなく実感できるのです。
日本の食糧自給率は40%。先進国のなかでは極端に低い数字ですが、たぶんその実感がないのでしょうね。だって食料はスーパーにも家庭の冷蔵庫にもあふれているわけですから。
食料があふれていれば、おいしいかおいしくないかはすぐに判りますけれども、それがどういう環境で、どういう風に育てられてきたものか、という想像はしにくくなりますからね。