現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

二日酔いと春の気配の雨と高村薫の文章

tsujii_hiroaki2012-02-23

21日(火)
今日は30年ぶり(?いや、もっとか?)に、古い友達のK君が訪ねてきてくれた。
なんだか朝方3時くらいまで飲む。iPadであれこれBGMを流しながら何を話していたんだか。
上林暁って知ってる?なかなかいいぜ。私小説なんだけど。」と教えてくれたのを、ふと思い出す。


22日(水)
激しい二日酔い。僕はまあ動けなくても大きな差し支えがあるわけではないが、K君は今日は仕事なんだけど、大丈夫か?


夜は地域の広報紙の編集会議。今月号をもって編集委員を辞することになりました。12年ほどやらせてもらいました。新しい人にバトンタッチしたいと思います。


23日(木)
昨夜から降り出した雨。この雨で田んぼの雪もずいぶん融けそうな気配。
朝、犬の散歩に付き合いながら、なんとなく春の気配を感じたりする。もう二月も後半ですからね。当然か。19日が雨水でした。雨水は空から降るものが雪から雨に変わり、雪が融け始める頃ということです。うかうかしているとすぐに三月になりそうです。


昨日の読売新聞に高村薫の「寸草便り」という文章が載っていた。以下その要約

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節電の続く時節に何の因果か、今世紀最大級の寒波到来で、私たちの心も身体もますます縮こまってしまったこの冬の寒さである。とはいえ気分が沈むばかりの冬の厳しさも、他方ではそれが過ぎれば春が来るという希望を孕んでおり、春はまだかという気が急く軽やかさがひそんでいるのを感じる時もある。
否、東北の被災地でも同じかどうかはわからない。断熱材も入っていないだろう仮設住宅に閉じ籠もって過ごす被災者たちの冬は、仕事や住まいなどの生活再建の目処も立たず、未来が見えないまま無為に流れていく時間の塊であって、それをただやり過ごすだけの事なのかもしれない。同じ厳冬も、人により土地によりさまざまである。
ずっと以前にも書いたことがあるが、豪雪の風景を見るとと江戸時代に記された有名な『北越雪譜』が思い浮かぶ。現代と基本的には何も変わらない豪雪地帯の暮らしとは、厳しい自然に抗う代わりにそれと一体になって、倒されては立ち上がり立ちあがったらまた倒されてという草木のごときのものである。それはなかなか逞しく強靭な暮らしであり、ときに明るく、ときに動物的でもあるのだが、この「暗い明るさ」と呼ぶべきしたたかな世界では、人は自然に抗わない一方で、手近にある己が欲望には極めて忠実でもある。そうでなければ気持ちの明るさは生まれないだろうし、そこからまた折々の暮らしの知恵や娯楽も生まれてゆくのである。
ともあれ、こうしてこの冬も『北越雪譜』のことを考えていると、震災から間もなく1年になる東北の被災地の現状について、もう一段の迷いが生じてきたところである。大津波に呑まれた被災地の惨状に言葉がなかったはじめの数カ月、遠い関西に住むものには、三陸沿岸の集落は今度こそ高台移転が不可避に思われた。しかしながら改めて考えると、過去に何度も大津波に呑まれながら、一部を除いてほとんどの人々が高台に移転しなかったのは、いったいなぜか。漁業を生業にしている以上、港から離れては仕事にならないというのは、おそらく移転をしなかった理由の一部でしかないだろう。なぜなら、車がある現代では、漁に出るににしろ魚市場の業務にしろ、職住分離は物理的に可能だろうからである。
してみれば、彼ら三陸沿岸の人々は、『北越雪譜』の暮らしと同じく、海の恵みと厳しさの両方を享受して生きているだけであって、津波を理由にわざわざ山へ移るのは、まさに不自然なことなのではないか。理屈ではなく、ただ海と共に生き、倒される時は倒され、また起き上がる暮らしを脈々と営んできたということではないか。
現実の高台移転計画では、どこも移転用地が不足しているほか、仮に用地を確保しても新たに住宅を建てる余裕のない住民も多いと聞く。そのため被災自治体の中には、高台移転よりも従来の堤防の嵩上げの方が現実的だと考えるところも出てきているらしいが、震災直後から筆者を含めたメディアが当然の事のように唱えてきた高台移転は、確かに一つの案に過ぎないというべきなのだろう。海と暮らす彼らの知恵も覚悟も、都会の人間の推し量るところではないということだ。
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震災からもうすぐ一年。どうしなければならん、こうするべきだ、という主張する文章ではありません。突き放しているようでありがながら、でもちゃんと被災者に寄り添って考えている人の文章のような気がします。いい文章ですね。そう思いました。新聞が朝日から読売に替わって、紙面の作り方とか主張とかあれこれ思うところもあるのですが、高村薫の文章がこうしてふいに読めるのは、うれしいことです。
それにしても『北越雪譜』という本は、いろんな人の文章の中に登場し引用されて、とてつもない本ですね。鈴木牧之とか菅江真澄の名は柳田國男の中で知ったのですが、きちんと『北越雪譜』も『菅江真澄遊覧記』も読んでいないことであります。うーむ。
菅江真澄遊覧記』は秋田県立図書館のページから見ることもできますね。うーむ。