現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

畦塗り機の試運転と膨らむつぼみと野球の塁審

29日(金)
先日は一本だけであったソメイヨシノの膨らんだつぼみが、今朝はあちこちで見られた。開花も近いか。
コナラやナラガシワの芽も膨らんできている。

畦塗り機の試運転をする。だいぶ土が乾いていているので、毎年、少し水が湧き加減で、深い田んぼで、畔が塗りにくいところで塗ってみる。ふふふ。思った通り。今年はあまりトラクタが沈まず、わりときれいに塗れました。しかし、なんですな、いつもおおむねきれいに塗れる田んぼでは、土の湿り気がすくなくて、きれいな畔の形にはなっているけれど、ギュッとしまった強い畔ではなくて、パラパラな感じ。やれやれ。昼過ぎまで塗ったのだが、次回は、ちょっと一雨来て土がそこそこ湿ってから塗ることにする。
午後は畦塗り機の爪の一部を交換する。爪が減ってくると、とたんに畦塗りの仕上がりが悪くなるんだなぁ。

それから夕方、市役所に書類をもって提出にいく。今日は提出だけだと思っていたのに、いつもと別の職員さんが対応してくれ、なんだかいままで大丈夫だったところにダメ出しされて、そこを直してきてから提出するように言われてしまう。いやはや。その職員さんに、たぶんムッとした顔をして帰ってきたのだが、ムッとした顔を見せたところで、どうにもならない。ま、僕の提出書類の不備なのだ。月曜日にでも、もう一度、提出しに行く。



30日(土)
道路の拡幅工事のために、田んぼの池のポンプからの水の出し方が変わったので、そのあたりの田んぼの耕作者と役員が集まって説明しバルブの開け具合の調整もする。その後、役員で用水路の壊れて水漏れしているところを直す。コンクリートを練り、板で型枠をつくり、そこへセメントを流し込んだりする。役員はみんな百姓でその手のプロではないが、毎年のように補修もしているし、みなさん慣れたものである。ま、古い水路なので根本的な解決にはならないが、とりあえずの応急処置が毎年続いている。

午後は次男の野球の大会。本大会は保護者で塁審をすることになっているので、うちのチームの試合の前の試合の塁審をする。場所は三塁だ。久しぶりの塁審でちょっと緊張したが、微妙なジャッジをする場面はなく、ありがたいことでありました。しかし午後から風が冷たく強くて体が冷える。
次男の試合の方は、頑張って応援したが、0対0の引き分けであった。でも抽選でうちが二回戦に進むことになる。次男の出番はなし。


4月から社会人生活を始める若者を見送った。当面の衣服と数冊の本とノートパソコンという身軽な巣立ちだった。物を持ちすぎないのも今風の生き方だ。
餞別代わりに、植物学者・牧野富太郎博士の「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」を表紙にあしらったノートを手渡した。博士が20歳前後に書いたという勉強心得てある。「赭鞭」は、中国の神農が赤い鞭で草木を払い、なめて薬草を選別したという故事に由来する。ノートには高知県立牧野植物園による現代語訳がある。
心得の第一は「忍耐を要す」=植物の詳細はちょっとみてわかるようなものではない。行き詰まっても、耐え忍んで研究を続けなさい。ほかに「何事にも正確であること」「多く観察すること」「たくさんの本を読むこと」など15カ条。
「わからないことを、年下の者に聞いては恥だと思うようでは、疑問を解くことは死ぬまで不可能」「友人に年齢の上下は無い。互いに知識を与え合おう」「職業や男女、年齢のいかんは植物知識に関係ない」など、謙虚に学ぼうという言葉は多い。
赭鞭一撻ノートは、人生の節目になにかのヒントになる気がして買ったもの。生涯、学ぶことを止めず、年齢にかかわりなく師と友人を持ち、話に耳を傾ける。そして植物や動物を友とすることができればもっといい。


今朝の新聞のコラムに載っていた文章の要約。春は、なんとなく謙虚に学ぼう、とふと思ったりする。