現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

寒梅忌と『「粗食」のきほん』


25日(土) 
HPのデザインの変更にあわせて、自分の写真も載せてみよう、と、ふと、思い立つ。次女がいたので、一眼レフカメラを出してきて、「撮ってくれ」と頼んでみた。ちょうど、発送するお米の袋もあったので、長靴に履き替え、その袋を抱えて、家の前の田んぼに出て、ポーズをとってみた。
次女は初めて一眼レフカメラを構えることになるらしい。いや、別にいつものようにiPhoneで撮影してもいいのだが、ちょっと背景をぼかしてみたい、という計算もあって、大きなズームレンズ付きのカメラを出してきたのである。一眼レフなら男前に写ると思ったわけではない。
カメラの設定をしてやって次女に渡すと、次女は、「なにするん?何に使うん?」と聞いてくるので、「HPに載せて、売り上げアップをしようと思てな。」と言うと「お父さんの写真なんか載せて、売れんようになってまへんの?」と、僕もいささか危惧しているところを言い、笑いながら、手に一眼レフを持ち、家の前の田んぼまでついてきてくれた。
「あの雪の伊吹山と手前の林をバックにな」と次女の立ち位置と伊吹山の方向を考えて、田んぼに入って、米の袋を抱え、ポーズをとったのだが、カメラをのぞいていた次女がまた笑い出して、ズームをつけたカメラがぐらぐらと揺れている。「あかん、笑けてきて、撮れん」「なにがおかしいんや」「ほんなこと言うたかて笑えるわ」「あのな、シャッター押しっぱなしにしたら、連写できるで、とりあえず、押してみい。」カシャカシャカシャカシャと連写する音は聞こえてきたが、次女はまださらに笑い続けている。家の方から、うちの奥さんの次女を呼ぶ声が聞こえてきた。「なにしてるん?はよ、行くでぇ。」どうやら、次女をつれて、どこか買い物に出るらしい。次女は笑いながら「ほんなら」と言い残して、カメラを僕に渡していってしまった。
いやはや。
さっそく撮影した画像をコンピュータに取り込んで見てみたが、予想通りみんな手ブレしている。手ブレしていないものは、ピントが後ろの伊吹山に合っていて、僕の顔がぼけている。しかも笑う次女につられて、顔がにやけて目尻が下がっているので、ブレやボケと合わさって、見られたものではない。しかも腹の辺りに重たい米袋を抱えたので、バランスをとるためにちょっと後ろにのけ反るような姿勢になって妙なポーズである。うーむ。
夜、次女が「そう言えば、あの写真、どうやった?」と言うので、「ま、せっかく撮ってもらったけど、今回はあれは不採用やな。あれでは米が売れん」と言うと「見せて」とも言わずにまた笑っていた。ま、いいけど。


夜の寄り合いに向けてレジュメを作ったり。
夜は寄り合い。

そういえば、古今亭志ん朝の『唐茄子屋政談』を聴く。夕方、車を運転しながら聴いたんだけど、なんで、こんなに泣けるんだ?ってぐらい泣けました(笑)。たぶん、僕が農業を始めた頃のことを思い出したからだと思います。家族をはじめ、同級生や友人、ご近所の人、地域の人の厚情を受けてきていますなぁ。
人情だねぇ。


26日(日) お昼前から強風。風に少し雪がまじる。
午前中はお米の精米など。
午後は事務仕事など。など、ってなんだ?って思うけど(笑)。
夜は寄り合い。


今日は、作家藤沢周平が亡くなって17年。寒梅忌です。日本農業新聞のコラムにこんな記事が載っていた。

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「また田舎の話で気が引けるのだが」。作家藤沢周平が、食品業界紙時代に書いていたコラム「甘味辛味」には、よくそんな書き出しが出てくる。藤沢の心には終生、ふるさと山形があり、米どころ庄内の人と風景があった。▼山形師範学校卒業後、当時の湯田川中学校で2年間教壇に立った。教え子の1人、鶴岡市の米農家、萬年慶一さん(77)とは、最晩年まで親交が続いた。▼藤沢は帰郷すると、いつも挨拶がわりに萬年さんに尋ねた。「今年の作はどげだや。」直木賞作家として名を馳せてからも普段着の付き合いは変わらなかった。「減反」を憂い、「自由化」を心配していた。別れ際には決まってこう声をかけてくれた。「農業やめんなよ。」▼藤沢が亡くなって今日で17年。萬年さんは葬儀で弔辞を読んだ。「故郷の素晴らしさを伝える先生の小説は地方にとって百万の味方。逝去は大きな損失」と。没後、愛好会を作り、代表として藤沢文学の魅力を語り継いできた。▼会主催の寒梅忌が今日、郷里鶴岡市である。厳冬に凛と咲く梅に、その人と作品を重ね合わせ「寒梅」の名を冠した。<凍える冬の夜は山形の雪を懐い 山形の人を懐う>。萬年さんに贈られた色紙からは、藤沢の声が聞こえるようである。「今年の雪はどげだや。」
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じつは藤沢周平のファンだと言いつつ、今日が寒梅忌だとすっかり忘れていた。先日遠藤展子さんの文庫を二冊読んだところだったし、こうして新聞のコラムで思い出ささせてもらうのも、縁なんだろうな、と想ったりしている。


     ぬるき茶で読む新聞の寒梅忌       魚容




27日(月) 朝から穏やかに晴れ上がる
午前中は精米など。


佐藤初女 幕内秀雄 冨田ただすけ『「粗食」のきほん』(ブックマン社) 読了。
ほんの二、三回、数行、佐藤初女と幕内秀雄の対談の中で、「うん?」とか「あれ?」と思ったことはありましたが、あとは大変おもしろく読めました。
“私たちは食材の命をいただいているので、その命をできるだけ生かすことに心をかける。料理に手間をかけて、心をかけると、それは食べる人に伝わります。子育てと同じですね。皆さんには、どうか一度、手間をかけてお料理をして欲しいです。今まで見えなかった世界が見えてくると思います。すると、必ずおいしいものができるから、お料理が楽しくなり、人と一緒に食べることが楽しくなるの。
「面倒くさい」と言っては、食事はインスタントのもので済ませる、道具は使い捨てのもので間に合わせる、手を使わずに機械任せにする。そうしたことを続けてしまうと、それは「食」ばかりではなく、子育てや人間関係、ひいては環境問題にまで影響してしまうと思っています。”というのが、最初のメモ(といってもiPhoneでバシャとページを撮るだけ)なんですが、いくつもメモしてしまいました。食や料理、ということに限らず、農や教育や、「第一次」的な、いろんなところで通用しそうな、本物ってどういうものだろう、というようなことを考えさせられます。“命をできるだけ生かすことに心をかける。” なんて言葉は、法隆寺の宮大工棟梁だった西岡常一も、そっくり同じような言葉を残していますな。言葉は簡単ですが、なかなか実際、日々の暮らしの中で実践するのは、難しいことです。農業という仕事をしていてもそう思います。


Macが誕生して30周年になったそうな。僕は1991年からなので、23年ということになります。ずいぶんとあれこれ仕事以上に遊ばせてもらってきました(笑)。でも近ごろは、ぜんぜんアップルの進歩(?)についていけなくなって、新しくなったPagesはまだしも、Numbersにさえ、ついていけてなくて、使いにくく感じているのですが、別の次元でFileMakerの進歩(?)進化?にもついていけていません。うーむ。表計算ソフトのバージョンアップももう表面的なことばかりだから、ま、いいんだけど、データベースソフトの進歩、進化には、できたらついていきたいんだけど、・・・。


夜は寄り合い。