現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

『父・藤沢周平との暮らし』も読了。


23日(木) 晴れる
朝、うっすらと雪があって、晴れて凍てているから、道はツルツルによく滑った。


古今亭志ん朝で「柳田格之進」を聴く。人情ばなし。あちこちいささか無理のある話だとは思うが、なかなかウルウルさせるところがありますな。志ん朝は丁寧に演じているが、志の輔のはちょっと型が変わっている。志ん生のは、ちょっと短いのだが、笑いはふんだんに入ってますな。「柳田の堪忍袋」という名前の方が僕は好き。
「名を惜しむ」とは、どういうことか、ちょいと考えさせられたが、ま、僕の場合、惜しむべき名などハナから無いことに気付いたりする。


遠藤展子『藤沢周平 父の周辺』は読了。続いて『父・藤沢周平との暮らし』(新潮文庫)に突入。


24日(金)
で、一気に読了。
藤沢周平を読んだことがない人が、読んでどうかはわからないけれど、周平ファンには、とてもうれしい文章です。
例えば。最後の方の「父が教えてくれたこと」という文章。

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失敗は誰でもするもの、失敗しない人間なんていない。問題は失敗した後の対処の仕方にある、と父が考えていたようです。何しろ、失恋した娘に「これもいい勉強になったと思って、あきらめろ」と言い切った親なのです。転んでもただでは起きない、そんな不屈の精神が、穏やかな父の内面にはあったのだと思います。
父から言われた言葉で、心に深く残っているものが、いくつもあります。
「普通が一番」「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝るときは、素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」
・・・
「小説家になったのは、心の中の鬱屈を書かずにはいられなかったからだ」という意味のことを、父はエッセイで書いています。しかし、もう一つの理由があったと、私が大人になってから聞かされました。家にいれば、いつも娘の成長を見ていられるから、家でできる仕事を選んだ、と父は言うのです。もちろん、母の絶大な協力があればこそ実現できたことです。
父の実家は農家です。子供の頃は野良仕事を手伝い、家族揃ってご飯を食べ、兄弟揃って布団に入るという日々を当たり前のものとして育ったのです。ですから、父が小説家になった理由の一つが、家族と共に過ごす時間を確保するためというのもうなずけました。
・・・"


なんとなく藤沢周平の小説の中の登場人物たちと共通するものがあるような気がします。
そう言えば、今朝の新聞のコラムに「歳寒三友」のことが書いてあった。冬の寒さ(歳寒)に耐える植物として松竹梅を指す。冬、緑を保つ松、雪の重さに負けずすっくと伸びる竹、寒さの中で咲く梅は、清廉潔白な生き方だ、と。読んでいて、ふと藤沢周平の小説の中の主人公たちを思い出したりする。
ちなみにそのコラムによると、東京では、すでに百花の魁で梅が一輪、二輪とほころびかけたそうだ。


そう言えば、今朝は、夢をたくさんみた。ような気がする。
でもすでに思い出せない。目が覚めたときは、これは面白い夢なので、メモしておいたほうがいいかも。と思ったのだが、その時すでに半分ぼんやりしているのだから、なんともしかたがない。


ラジオから沖縄テイストの曲が流れてきて、誰だろうと思っていたら、上間綾乃だという。気持ちのいい歌声なので、iTunesでクリックして『ニライカナイ』というアルバムを聴いていたら、なんだか沖縄の海をぼんやり眺めてみたくなったぜ。


今日は朝から快晴で、風もあまりなく、気温も高くなった。ありがたい。
昨日今日と、事務仕事をしたり。配りモノに出たり。写真を撮ろうと一眼レフカメラを持って田んぼに出たら、カメラの電池がなかったというお粗末だったり。