16日(金)
午前中は小麦に実肥をふる。本当はもう少し早い時期にやっておかないといけないのだが、田植えのごたごたで10日ほど遅れてしまった。ま、それでもやらないよりはましかと頑張ってみる。まだあまり風が出てきていなくて助かる。
午後はご近所のTさんが亡くなられたので、お葬式(告別式)のお手伝いに出る。昨日は父がくやみのお手伝いに出ていてくれたのです。告別式のあと、初七日の法要がおこなわれました。お手伝いといっても、Sホールで行われたので、特になにも仕事がない。うーむ。しかしTさんは急なことだった。あれやこれやご縁に感謝し、お別れをする。
午後は風が強くなる。
17日(土)
終日、田植え。しかし、なんとも今日も風が強い。なんでこんな連日、風が強いんだ?
田植え終了後、水持ちの悪い田んぼの畦畔に畔波シートを入れる。ここの畔はネズミやモグラやケラにとって、よほど住みやすいのか、なんだかたくさん穴をあけられていて、気がつくたびに草をギュギュと押し込んで、泥を押し込んだり塗ったりして補修するのだが、追いつかないのだ。そんなこんなで畦畔の穴から、水が下の田んぼに漏れるので、下の田んぼはいつも水が満々と張られている。いやはや。
Tさんの初七日の法要のときに、ごえんさんが読んでくださった蓮如の「白骨の御文章」は毎度のことながら、心に沁みる。
それ、人間の浮生なる相をつらつら觀ずるに、おおよそ儚きものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。
されば、いまだ萬歳の人身をうけたりという事を聞かず。一生すぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、遅れ先立つ人は、元のしずく、末の露より繁しと言えり。
されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれといふも、なかなか疎かなり。されば、人間の儚き事は、老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。 あなかしこ、あなかしこ。
初めて「白骨の御文章」を聞かされたのは、小学校の時のお寺さんの日曜学校の時でした。理解などできなかったでしょうが、ごえんさんが説明してくださったのはよく覚えている。命あるものは、思う存分に生きねばなりませんな。ま、でもこの、思う存分に生きる、というのが難しいことでもあるのですが。