現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

「コシヒカリ」と「みどり豊」の播種と衣笠の三振


朝から晴れて風は冷たかったけど、ちょっとカラッとしていて、気持ちのいい一日。
午前中は種落し。「コシヒカリ」と「みどり豊」を播種する。本当は「コシヒカリ」だけの予定でしたが、「みどり豊」が浸種だけで少し芽が出かけてきているので、催芽機に入れることなく、そのまま播種することにしました。なんとか無事に播種して出芽機に入れる。


午後は「こなし」。田回りしてみたら、どうも水が多すぎたり少なすぎたりして、塩梅がよくないので、別の田んぼに移動。18時過ぎまで頑張る。


ずっと何か書きたいと思っていたのだが、衣笠祥雄さんが亡くなった。カープの衣笠だ。衣笠が活躍した時代には、僕は大洋ホエールズを応援していたし、その後は落合博満のドラゴンズを応援していたが、今は広島カープを応援している。と、書くと、いかにも節操がないように思われるかもしれないが、滋賀県に地元のチームがある、という訳ではないので、応援したいチームを応援しているだけだが、自分の中で応援のルールはあるつもり。沖縄や長崎や福島にプロ野球チームができたら、またちょっと変わるかもしれませんが。


赤ヘルの衣笠の活躍はもちろん覚えている。よく打ったし、よく走ったし、三振も多かったが、「鉄人」だし、とにかくフルスイング。それから解説者になられてからの解説も好きでした。明るい声と話しぶり。若い選手に優しい解説ぶりだったと思います。逸話がありますよね、プロ野球の選手には。ちょうど僕が覚えている逸話が今朝の日本農業新聞のコラム「四季」に載っていた。


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 その男の真骨頂は三振の多さだろう。プロ野球生活で通算1587三振。フルスイングを貫いた衣笠祥雄さんが逝った▼語り継がれる三振がある。1979年8月1日、広島・巨人戦。西本聖投手の投じた宝刀シュートが死球となり、衣笠選手は左肩を骨折する。誰もが連続出場記録は途絶えたと思ったが、翌日代打に立つと、3球全てフルスイングで三振した。のちに衣笠さんは語る。「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のために振りました」▼西本さんには一生忘れられない言葉になった。「あれほど驚き、感動し、感謝した三振はありません」と日刊スポーツに追悼文を寄せた。常に死球を恐れず立ち向かう。ハードルを乗り越えるたびに力がつくと努力を惜しまなかった▼「無事これ名馬」を体現した衣笠さんこそ「鉄人」の称号にふさわしい。引退の時、「野球の神様に感謝します」と言ったが、広島カープファンならずとも、多くの人が不屈の闘志に勇気をもらった▼「どんな時でも投げてくる球をしっかり見据えて、フルスイングしないと何も残らない。明日につながらないんです」。失敗を恐れず全力で挑む人に明日は開けると教えてくれた。赤いヘルメットを飛ばしたあの豪快な三振が眼裏(まなうら)に浮かぶ。
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「3球目は西本君のために振りました」というときの巨人の西本を君づけで呼んでいるところが、なんだかしみじみさせる。
落語家の桂米朝さんが、落語家になったからといって、人気が出るとはかぎらない、10年経っても、20年経っても、人気が出ないこともある。ただ、人気が出なくても、「イヤな奴」には、なるな。落語家も、最終的には、人柄です。みたいなことを言っていて、もちろん人柄が大事なのは落語家だけではないのだが、衣笠のフルスイングや解説者としての明るさを思うとき、やはり人柄だと思ったりするのです。「3球目は西本君のために振りました」これは、もちろん三振してから考えたセリフだと思いますけれど、なかなか言えないセリフですなぁ。