現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

秋の雨の京都の豆乳とんしゃぶと『タネのふしぎ』

28日(日)
朝から雨。今日は京都へ用事があってウールのジャケットを着て出かける。用事は午前中で済んだので、ランチを食べに四条へでる。雨の京都ももちろん悪くない。昨日、長男と長女に、明日は京都へ行くから、どこかで昼飯を一緒に食べる時間はあるか?とメールしておいたのだ。長男からはすぐに「明日はパス」と返事があったが、長女からは「行けると思う。雨みたいやで、駅の近くがいい。」という返事だったので、ネットで、「京都 ランチがおいしい店」と検索してみると、まあ、うじゃうじゃじゃじゃじゃ、とたくさんお店が出てきた。いくつか見てみると、マップ上にたくさんお店の印がついているところを発見。これなら駅に近いところがすぐわかります。地下鉄の出口から15mほどのところによさそうなイタリアンのお店をみつけたので、「ここがよさそう」と長女にメールしておいた。僕の方が先に現地についたので、15mほどだし、と雨の中、傘をさしてお店を探しに出たのだが、イタリアンの店がないのである。やれやれ。そこにはなんだかおしゃれな居酒屋風の気配を漂わせるお店が・・・。ランチもやっていそうでしたが、「ノヤロー!食べログめ!店、ねーじゃねーの!」と雨の中、傘をさしつつ悪態をついている私でありました。いやはや。
さて、どうしたらええんや、と恨めしげに傘の下から雨の京都の通りをながめると、有閑マダム京都風の三人連れがふいに地下につづく階段に消えるではないかいな。むむ!?と思っていると今度は5秒後にも中年カップルというか夫婦か?、がまたしても地下に降りていく。むむむ!?とその地下階段に近づいていくと、そこは豆乳の豚しゃぶのお店でありました。すぐさまこの店に変更。長女もすぐにやってきたので、店の変更のいきさつを話すと笑って「ネット情報は便利やけど、信用はあんまりないし。」と、ご忠告くださいます。ま、おっしゃる通りでございます。
ところでこの豆乳とんしゃぶ。長女は最初「豆乳?」と言っていたのですが、一口食べてみると、びっくりするほど上品な甘さがあっておいしい。うひょー!と目がつり上がるような感じがするほどだ。長女の方をみると、長女も「うまぁ!」と次々お肉をしゃぶしゃぶしておりました。
秋の雨の京都の豆乳とんしゃぶ。おいしゅうございました。


16時からは水路の点検と農事組合の中間認定会。僕は転作の状況について報告をする。


29日(月)
朝、精米と発送。
午前中は麦の播種用にトラクタに散布機を取り付ける。除草剤の散布用です。点検しながらの取り付け。水を入れて散布状況のテストもする。土を起こして肥料とタネを播いて、除草剤も同時に散布してしまうというスバラ式システムになっております。


午後は大豆を広げるスペースを確保するために、車庫のコンバインを移動させたり、動噴の点検を受けたり、麦の共済を提出したり。


京都への車中で田中修『タネのふしぎ』(ソフトバンククリエイティブ)を読了。いやー、面白かったです。田中修先生は、毎年夏休み中のNHK「ラジオ子ども科学電話相談」の植物担当の先生なんです。関西弁で話されるのですぐにわかります。タネの不思議というか、生命力というか、百姓としては、思い当たる点が随所にあって楽しく読めました。コメの栄養とか菜の花の緑肥についても説明があり、辻井農園としては、なんだか自分のやっている農業の応援をしてもらっているような気分で読めました。


先週のの読売新聞の日曜版の「味な話」というコラムに養老孟司氏が、例のごとくいささか言葉足らず風の文章(たぶんインタビュー記事)を寄せている。僕は好きなんですけれど。以下、その要約。

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今年は福井県で初めて田植えの真似事をした。篤志の農家が田んぼの一部を不耕起・有機栽培でやるというので、その仲間に入れてもらった。
人間社会は分業を発明して大いに「進歩した」。でもおかげで、手抜きになった部分も多い。毎日の食物がどのように生まれてどのように運ばれ、自分の口に入るのか、実感がない人も多い。有機の食品といっても、味がわからなくなった人がほとんどだから、真の意味で「おいしい」食品がわからない。そう指摘する専門家もいる。消費者がそれでは生産者も熱が入らない。

農業による食糧生産を頭の中だけで考えてみよう。一方の極は以下のようであろう。食糧は元来自然物だから、有機栽培が一番よろしい。土も耕さない。不耕起の田んぼをやっていた件の農家の持論は「逆さまになった地面に生えている草を見たことがあるか」だった。肥料も全て自然物、農薬なんかとんでもない。
他方の極み。細胞1つからでもニンジンは育つ。それなら水栽培で良いはずである。水の中に必要なものを必要なだけ入れれば全くの純粋な植物が得られる。余計なものが混入する恐れもない。

前週の繰り返しになるが、人生に丸儲けはない。有機が理想だから全部の食材をそうしろとか、完全なコントロールができるんだから水耕栽培が理想とか、頭の中ではどう考えたっていい。でも実際はボチボチ、中間のどこかである。

その実際の中で、何とか理想に近づきながら、例えば一次産業をやっていく。その意味での努力、辛抱、根性は欠けてきたのではないか。だって自由というのは、要するに頭の中だけに存在する。私はそう疑っている。だから思想の自由、言論の自由はある。食物の自由なんかない。ともかく出てきたものを食べるしかない。さもなければ、すべてを自前でやるしかない。それなら、私の場合には、田植えの真似事でもうお終い。
世の中が進歩することを、これまでは手放しで認めてきたと思う。食の世界もそう。でもそれには裏がある。物事が進歩することは、必ずしも楽になることを意味しない。「以前の状況の上に」別のものが加わるのだから。その分世界はより複雑になり、我々もより複雑に考え、対処しなければならなくなる。
皆さん、進歩とは楽になることだと思ってきませんでしたか。

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もちろん、辻井農園の菜の花緑肥の完全無農薬有機栽培米も、一回除草剤を散布する圃場とは、作り方も扱い方も複雑になります。
しかし「人生に丸儲けはない。」というのは、心に響きますな。今のところ丸儲けしたことがないんですが(笑)。


今週は週間天気予報によると、このあたりの天気は、もうひとつよくないみたいなので、麦の播種や大豆の刈り取りなどの作業に悩まなくてはならない感じ。