現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

豆腐づくり二回目と「徂徠豆腐」


27日(土)
先日の寄り合いで預かってきた各種の配布物を耕作者さんにお配り申し上げる。耕作者さんですから当然農家さんなんですが、玄関の前に立つとふっと梅の香がしたりするんですな。それが一軒や二軒じゃないんです。ま、梅の季節ですからね。庭の隅に一本か二本、梅の木が植えてあったりするのです。うちにも白と紅と二本あります。庭といってもみなさんそれぞれでちょっとした前栽もあれば畑になっていてその隅に植えてあったり。桜のように大きくなって激しく落葉する木は庭というか家の敷地に植えることのできる人は少ないかと思いますが、梅ならそこそこ個人で管理できるのですな。
今、ふっと思い出して去年も同じようなことを書いたかもしれないな、と思いつつ、この地域が梅を大切にしているんだな、と思った次第。農家は梅が咲いている間はまだ余裕があるのです(笑)。桜が咲きだすと、もういけませんが。(もういけません、は東京弁?このあたりでは、もうあかんのやけど、などともっちゃりと言います。)


午後は自家製豆腐づくりの二回目。今回は写真も撮らないし、天然生活ブックスの『家仕事ごよみ』をみながらの作業ではないので、どんどん仕事が進みます。豆の量は前回と同じ。で、「にがり」の量を最初からドンといれたら、すぐに凝固しはじめました。真っ白な豆乳が凝固したおぼろ豆腐と透明な液に分れるのですが、これがはっきり分れすぎた感があります。でき上がった豆腐が、はっきり木綿豆腐なのは同じですが、つるんとした感じがあまりないんですな。うーむ。
ところが、食べてみますと、これが、あーた、豆腐の旨味といいますか、豆の甘味といいますか、しっかりとした豆の旨味を感じていいのです。そんじょそこらのスーパーで売っている豆腐とは一味違うんですな。これで気を良くしたあたしは、子どもたちに盛んに勧めたのですが、「え?お父さんの作った豆腐?ま、今はええわ。」とやんわりとしかししっかりと食べないんですな。てやんでぇ!(てやんでぇ!、は東京弁?このあたりでは、なんちゅうこっちゃ!、などともっちゃり言います。)もう、おめーらには食べさせてやらんからな、などと思いつつ、2/4をかつお節と、わさびで堪能したのでありました。豆の味、甘味、これこそ『徂徠豆腐』で、荻生徂徠が味わった豆腐の味ではないかと。
出世豆腐というか、火災保険豆腐と言われるように精進いたします。


28日(日)
朝、残しておいた昨日の豆腐を父と母に食べてもらったが、うまいけど、もそもそしている、ということでした。うまいけど、もさもさ?もそもそ?うーむ。豆腐のワビとサビ。
慢心しない心の美しさが「わび」、古びた味わいに美を見つけ出すのが「さび」ですぞ。この豆腐はわびとさびの豆腐です。(笑)
今朝の新聞の広告に茶道裏千家第十五代・前家元千玄室が『日々所作を美しく、心豊かに 日本人の心、伝えます』という本が載っていた。いくつか短い文章が書いてあったのだが、例えば。
・準備と後始末に気を配ると心に余裕が生まれます。
・目には見えない心をわかってもらうには行動するしかありません。
茶の湯の庭は、地位も身分も取り去った真の姿が露になる場所です。
・茶室に入るときは、立場も肩書きもない「ただの人」になります。
・見栄や欲を捨てて、自分の本当の心を見いだす。作法はそのためのルールです。
・他人と和し、敬い合い、自浄の志と揺るぎない信念を持つ。それが理想の姿です。
・慢心しない心の美しさが「わび」、古びた味わいに美を見つけ出すのが「さび」です。
ま、そういうことなんでしょうな。そういうことなんだろうとは思いますが、なかなかね。もっとも僕は茶室に入ったことがないので、ダメなのかもしれません、ってまあ、入っても、こんなに欲にまみれている男ではダメなのはわかりきっているけど。


朝からよく晴れていい天気だが、差し迫った事務仕事。残してある領収書の整理をする。
午後はあれこれ。


というわけで、二代目廣澤菊春「徂徠豆腐」をリンクさせておきます、ひょっとすると前に一度貼り付けたかも。2013年で30年以上前のラジオ番組のエアチェックということですから、1983以前ということですね、あたしゃ(あたしゃ、は東京弁?このあたりでは、わしゃ、などともっちゃり言います。)、何度かぐっときました。