現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

久しぶりの雨と吉野弘「茶の花おぼえがき」

秋の夕暮れ

今日は久しぶりの雨です。朝から雨。まだ降っている。雨なので稲刈りはできませんが、籾擦りを二日分ほどしました。
昨日は出荷した米の検査。「コシヒカリ」は全量一等米でした。ありがたいことです。検査官からもきれいな米だといくつか褒めてもらって気分よく帰ってきました。


天気予報で今日の雨を知らせていたので、倒伏している田んぼだし、昨日はできるだけたくさん刈っておこう、となかなかコンバインのスピードは上げられないものの頑張って遅くまで刈り、乾燥機に入らない分はカントリーエレベーターに持っていったり、作業所の庇の下に干したりしておく。


さて、今年は5月の中旬に植えた「コシヒカリ」が倒伏してしまって、刈り取りに苦労しているわけですが、なぜ倒伏したのか、原因を考えねばなりません。一番の大きな原因は天候だと思います。夏の日照が少なかったので稲がよく伸びました。背の高い稲になったので倒れやすいわけです。それからすこし肥料が多かったのかもしれません。減農薬減化学肥料の栽培で、肥料の50%は有機質肥料を使っています。有機質の肥料は肥効がゆっくりなので、天候のこともあり、肥料分が籾ではなく、茎や葉にいってしまったのかもしれません。倒れる稲の株はわりと葉も旺盛に茂っています。


話は変わりますが(いや、変わらないのですが)、吉野弘という詩人が好きです。最近はあまり読んでいませんが、二十代前半のある時期、毎日必ず吉野弘の詩を数編読んで寝ていた時期があります。吉野弘は高校の国語の教科書に「I was born」という詩が載っていて、読んで心がふるえました。あまり国語の教科書に載っている作品を教室で読んで心がふるえるような感動はあまりないのですが、この「I was born」と柳田國男の「清光館哀史」が教科書の作品では印象に残っています。
高校生の僕にとっては詩人といえば高村光太郎萩原朔太郎でよく読んでいましたが、「I was born」には心がふるえたのに吉野弘の他の作品を高校生のときには、どういうわけか読んでいません。当時は五木寛之の初期のエッセイ『風に吹かれて』『ゴキブリの歌』『地図のない旅』や初期の小説の『さらばモスクワ愚連隊』『蒼ざめた馬を見よ』『海を見ていたジョニー』にやられていたからなぁ。
で、吉野弘を読んだのは大学生になってから思潮社の現代詩文庫『吉野弘詩集』『新選吉野弘詩集』です。はまりました。だって読む詩のほとんどの意味がわかるんだもん。現代詩って、わからない詩の方が多いというか、ほとんどわからない詩が多かったのに、読んだらわかるんです。散文に近い詩なんですね。井上靖の詩集で散文詩に触れた(いや、よくわかりません、自信がないです)ので、散文詩というのは知っていたのですが、とってもよくわかる詩だったんです。考えてみたら、散文が詩になっているなんて、最高の表現ですよね。ある人に吉野弘が好きなんだ、と言ったら、吉野弘は理屈ぽいからあまり好きじゃない、と言われましたが、よくわかりますよね。詩と理屈が通る表現というのは少し違うのかもしれません。
で、その吉野弘の理屈っぽい散文詩の代表が「茶の花おぼえがき」だと思うのです。学生時代から傑作だと思って、何度も何度も繰り返し読んできたのですが、百姓をするようになってなかなかゆっくり詩など読めない状況になっても、というか詩が読めない状況になったからこそなのか、百姓になって植物の生長を観察することが仕事になったからか、この詩のフレーズがときどき頭の中に蘇ってくるのです。今日は雨、ちょっと長い散文詩なのですが、ゆっくり打ち込んでみることにします。



    茶の花おぼえがき

 井戸端園の若旦那が、或る日、私に話してくれました。「施肥が充分で栄養状態のいい茶の木には、花がほとんど咲きません。」
 花は言うまでもなく植物の繁殖器官、次の世代へ生命を受け継がせるための種子を作る器官です。その花を、植物が準備しなくなるのは、終わりのない生命を幻覚できるほどの、エネルギーの充足状態を内部に生じるからでしょうか。
 死を超えることのできない生命が、超えようとするいとなみ―それが繁殖ですが、そのいとなみを忘れさせるほどの生の充溢を、肥料が植物の内部に注ぎこむことは驚きです。幸か不幸かは、別にして。
 施肥を打ち切って放置すると、茶の木は再び花を咲かせるそうです。多分、永遠を夢見させてはくれないほどの、天与の栄養状態に戻るのでしょう。
 茶はもともと種子でふえる植物ですが、現在、茶園で栽培されている茶の木のほとんどは挿し木もしくは取り木という方法でふやされています。
 井戸端園の若旦那から、こんな話を聞くことなったのは、私が茶所・狭山に引っ越した翌年の春、彼岸ごろ、たまたま、取り木という苗木づくりの作業を、家の近くで見たのがきっかけです。
 取り木は、挿し木と、ほぼ同じ原理の繁殖法ですが、挿し木が、枝を親木から切り離して土に挿しこむところを、取り木の場合は、皮一枚つなげた状態で枝を折り、折り口を土に挿しこむのです。親木とは皮一枚でつながっていて、栄養を補給される通路が残されているわけでです。
 茶の木は、根もとからたくさんの枝に分かれて成長しますから、かもぼこ型に仕上げられた茶の木の畝を縦に切ったと仮定すれば、その断面図は、枝がまるで扇でもひろげたようにひろがり、縁が、密生した葉で覆われています。取り木はその枝の主要なものを、横に引き出し、中ほどをポキリと折って、折り口を土に挿し込み、地面に這った部分は、根もとへ引き戻されないよう、逆U字型の割竹で上から押さえ、固定します。土の中の枝の基部に根が生えた頃、親木とつながっている部分は切断され、一本の独立した苗木になる訳ですが、取り木作業をぼんやり見ている限りでは、尺余の高さで枝先の揃っている広い茶畑が、みるみる、地面に這いつくばってゆくという光景です。
 もともと、種子でふえる茶の木を、このような方法でふやすようになった理由は、種子には変種が生じることが多く、また、交配によって作った新種は、種子による繁殖を繰り返している過程で、元の品種のいずれか一方の性質に戻る傾向があるからです。
 これでは茶の品質を一定に保つ上に不都合がある。そこで試みられたのが、取り木、挿し木という繁殖法でした。この方法でふやされた苗木は、遺伝的に、親木の特性をそのまま受け継ぐことが判り、昭和初期以後、急速に普及し現在に至っているそうです。
 話を本筋に戻しますと―充分な肥料を施された茶の木が花を咲かせなくなるということは、茶園を経営する上で、何等の不都合もないどころか、かえって好都合なのです。新品種を作り出す場合のほか、種子は不要なのです。
 また、花は、植物の栄養を大量に消費するものだそうで、花を咲かせるにまかせておくと、それだけ、葉にまわる栄養が減るわけです。ここでも、花は、咲かないに越したことはないのです。
「随分、人間本位な木に作り変えられているわけです」若旦那は笑いながらそう言い、「茶畑では、茶の木がみんな栄養生長という状態に置かれている」と付け加えてくれました。
 外からの間断ない栄養攻め、その苦渋が、内部でいつのまにか安息とうたた寝に変わっているような、けだるい生長―そんな状態を私は、栄養成長という言葉に感じました。
 で、私は聞きました。
「花を咲かせて種子をつくる、そういう、普通の生長は、何と言うのですか?」
「成熟生長と言っています」
 成熟が死ぬことであったとは!
栄養成長と成熟生長という二つの言葉の不意打ちにあった私は、二つの成長を瞬時に体験してしまった一株の茶の木でもありました。それを私は、こんな風に思い出すことができます。
 ―過度な栄養が残りなく私の体の外に抜け落ち、重苦しい脂肪のマントを脱いだように私は身軽になり、快い空腹をおぼえる。脱ぎ捨てたものと入れ替わりに、長く忘れていた鋭い死の予感が、土の中の私の足先から、膕(ひかがみ)から、皮膚のくまぐまから、清水のようにしみこみ、刻々、満ちてくる。満ちるより早く、それは私の胸へ咽喉へ駆けのぼり、私の睫に、眉に、頭髪に、振り上げた手の指先に、、白い無数の花となってはじける。まるで、私自身の終わりを眺める快活な明るい末期の瞳のように―
 その後、かなりの日を置いて、同じ若旦那から聞いたこういう話がありました。
 ―長い間、肥料を吸収し続けた茶の木が老化して、もはや吸収力を失ってしまったとき、一斉に花を咲き揃えます。
 花とは何かを、これ以上鮮烈に語ることができるでしょうか。
 追而、
 茶畑の茶の木は、肥料を与えられない茶の木、たとえば生け垣代わりのものや、境界代わりのものにくらべて花が少ないことは確かです。しかし、花はやはり咲きます。木の下枝の先に着くため、あまり目立たないというだけです。その花を見て私は思うのです。どんな潤沢な栄養に満たされても、茶の木が死から完全に解放されることなどあり得ない、彼らもまた、死と生の間で揺れ動いて花を咲かせている。生命から死を追い出すなんて、できる筈はないと。


註 井戸端園の若旦那から、あとで聞いたところによると、成熟生長は「生殖生長」とも謂う。
 栄養生長、生殖生長については、、田口亮平氏の著書「植物生理学大要」の中に詳しい説明がある。それによると、この二つの生長は、植物が一生の間に経過する二つの段階であって、種子発芽後、茎、葉、根が生長することを「栄養成長」と謂う。(茎、葉、根が、植物の栄養器官と呼ばれるところからこの名がある)
 栄養生長が進み、植物がある大きさに達すると、それまで葉を形成していた箇所(生長点)に、花芽、もしくは幼穂が形成されるようになり、それが次第に発達し、蕾、花、果実、種子等の生殖器官を形成する。この過程が「生殖生長」である。
 井戸端園の若旦那から当初聞かされた言葉が、かりに「成熟生長」でなくて、「生殖生長」であったら、この「茶の花おぼえがき」は、おそらくは書けなかったろう。成熟は生殖を抱合できるように思えるが、生殖は成熟という概念を包みきれないように思う。また、彼から「栄養生長」という言葉を聞いたときその内容を確かめもせず一人合点したことを「植物生理学大要」を読んで知ったが、理解の不十分だったことが、かえって鮮烈に「成熟」という言葉に出会う結果となったようだ。
 なお、栄養生長、生殖生長の二語は、植物のどの部分を収穫の対象にするかを考えるときに便利な概念である。茎、葉、根を収穫の対象にする場合は、栄養生長を助長すればいいし、花、果実、種子収穫対象とする場合は、生殖生長を助長すればいい。茶の場合は、言うまでもなく前者で、若主人が「茶畑の茶の木はみな栄養生長の状態にある」と言ってくれたのは、葉の収穫を最重点に管理している畑の状態を指していたわけである。
 種子繁殖に対し、葉、茎、根の一部を分離してふやす方法を栄養繁殖と言う。これは前述した通り葉、茎、根が植物の栄養体もしくは栄養器官と呼ばれるところから、その名がある。栄養繁殖は、球根植物やその他の植物の間では自然に行われていることで、サツマイモ、ユリ、タマネギ、クワイなどは、自然に栄養繁殖を行っている例である。茶の木の場合の取り木は、、いわば人為的栄養繁殖である。だがこの作品の中では「栄養生長」との混乱を避けるため、用いなかった。
 因みに、狭山「市の花」はツツジであって、茶の花ではない。「市の木」として「茶の木」が指定されている。茶の花は茶所を代表していないわけだ。



今年、倒してしまった「コシヒカリ」のことを父とあれこれ話するとき、いつもこの吉野弘の詩のことが頭にありました。お米はもちろん種子ですから、生殖生長を助長する育て方をしなくてはいけないということです。つまり稲に自分の死を意識させてやること。一年生植物の稲ですからたぶん遺伝子に自分の死は強烈に刷り込まれて入るのでしょうけれど、終わりのない生命の幻覚をみさせないように厳しく育てるということでしょうか。百姓だからというわけではないのでしょうけれど、僕にとってはいろいろ突きつけられる散文詩ではあります。