16日(木)
午前中は精米など。午後は事務仕事など。
SNSのお友達が石垣りんの「シジミ」が好きだとつぶやいていて、ああ、と思ってしまいました。ええ、私も石垣りんは好きなのです。どこかに詩集もあるはずと探してみたら、すぐに見つかりました。ま、若い時に買った詩集は断捨離だからといって、処分する人は少ないかも。うーむ。いや、そうでもないか(笑)。『現代詩文庫 46 石垣りん詩集』(思潮社)です。1971年が初版ですが、私の持っているのは1986年の17刷ですね。
私が高校生の時の教科書に石垣りんの詩が載っていて、それは「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」でした。その時の国語の先生は現代詩・近代詩を教えるに当たって、生徒に教科書に載っている詩人を誰か選んで、図書館でその詩人の詩集を読んで、詩を一つ選んで、その詩の解釈を一人づつ発表させるという形式をとっておられて、ええ、詩だけでなくて俳句や短歌でも同じような形式の授業でした。あと休み時間に短歌とか詩を暗唱させるという宿題もありました。短歌だと10首ほどだったかなぁ?詩だと三つほどだったかなぁ?とにかく暗唱できる短歌や詩を書いて職員室の先生のところへもっていく。先生はそのノートを見て、最初の五音をおっしゃるので、続いて31音の短歌を暗唱してみせる、というようなものでした。詩だと、じゃ、これ、と詩のタイトルだけおっしゃるので、続いてその詩を暗唱してみせるんですな。私は萩原朔太郎を暗唱したし、若山牧水を暗唱したのは覚えています。でもその詩人を選ぶのに茨木のり子とか石垣りんも詩集を読んだ覚えがあります。あたしゃ、成績は良くなかったけど、こうして思い返してみると真面目な高校生だったことがよくわかりますなぁ。って僕だけでなくてみんな暗唱してたけど。
「シジミ」以外で何か一つだけ紹介したいな。なにがいいかな。
石垣りんは1920年生まれです。詩集が出たのは1959年ですから39歳の時。で、この詩が書かれたのが、まあ、30歳ということなんでしょう。今の30歳の人が読んでどう思うかはわかりませんが、あんまり30歳らしからぬ、というか若さ故のちょっと気取った詩だとは思います。まあ、今の自分だと30歳だとやっぱり若造だと思ってしまう。でも当の30歳はちょっと違うんですよね。そうしてどこか矜恃を感じるんだなぁ。「牛蒡」「ほうれん草」「あさり」が出てくるあたりがいかにも石垣りんですね。敗戦を迎えたのが25歳。ま、詩ですから、これくらいにして、あとはご自身でゆっくり読んでいただくことにいたします。「シジミ」も検索すればすぐに出てきます。短い詩ですしね。おもしろく美しい詩です。
僕はわりと詩歌が好きだったんですけど、バタバタしていると忘れてしまいますね。石垣りんも茨木のり子も萩原朔太郎も高村光太郎も、谷川俊太郎も金子光晴も吉野弘も三木卓も。あ、いや、たぶんまだ忘れている詩人もいるでしょうけれど、まあ、いいや。あ、中島みゆきもいれてもいい。