現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

確定申告と黒田三郎の詩

東川の川べりを焼く

13日(火)
とりあえず、パソコンに向かって仕事。夕暮れに完了する。
新しい草刈り機が届く。ピカピカだぁ。


14日(水)
朝は冷え込んで霜が降りたが、朝から風もなくいい天気。青空だ。
朝のうちに税務署へ行って、確定申告をサクッと提出(笑)。ええ、提出はサクッとやってきました。なんといってももう全部仕上がっているので提出するのみ。確認してもらってあっという間に終わる。税務署の中はもう職員さんが何人も黄色やら緑のよく目立つヤッケを着て申告書の書き方の指導をしておられて、ごった返している。明日が締切ですからねぇ。ここ数年、税務署へ来るたびに思うのだが、役所の窓口の中では、対応が抜群に丁寧なのは税務署ですね。そんなことないですか?ま、査察とかになるとまた違うのでしょうけれど。


確定申告を提出して、気が少し楽になり、ホームセンターで作業用の五本指の靴下やプリンターのインクやら電池やら修正液やらファイルやら梱包用テープやら封筒やら糊やらチャッカマンやら、あれやらこれやらを買う。


今度の日曜に農事組合で川の藻上げがあるのだが、あまり大きな草があると川に近づけないし、午後遅くから川べりの枯草を焼く。買ったばかりのチャッカマンが大活躍(笑)。あんまり乾き過ぎていてよく燃えても怖いし、風があっても怖いのだが、今日は朝からいい天気だったし、風もあまりないので絶好と判断したのでした。ほど良く燃えて消えた。


このところ次女が詩の暗唱を頑張っているのだが、昨日は黒田三郎の詩を暗唱してくれた。




     支度    黒田三郎


   何の匂いでしょう
   これは


   これは春の匂い
   真新しい着地(きじ)の匂い
   真新しい革の匂い
   新しいものの
   新しい匂い


   匂いのなかに
   希望も
   夢も
   幸福も
   うっとりと
   うかんでくるようです


   ごったがえす
   人いきれのさなかで
   だけどちょっぴり
   気がかりです
   心の支度は
   どうでしょう
   もうできましたか


黒田三郎は好きな詩人です。この詩はあんまり覚えていないけれど、でもいかにも春らしい。心の支度はもうできましたか?と黒田三郎に言われると、なんとなくウキウキするような気分になる。やっぱり春だ。


黒田三郎の詩が好きになったのは、「夕方の三十分」という詩を知ってからだ。


     夕方の三十分


   コンロから御飯をおろす
   卵を割ってかきまぜる
   合間にウィスキーをひと口飲む
   折り紙で赤い鶴を折る
   ネギを切る
   一畳に足りない台所につっ立ったままで
   夕方の三十分


   僕は腕のいいコックで
   酒飲みで
   オトーチャマ
   小さなユリの御機嫌とりまで
   いっぺんにやらなきゃならん
   半日他人の家で暮らしたので
   小さなユリはいっぺんにいろんなことを言う


   「ホンヨンデェ オトーチャマ」
   「コノヒモホドイテェ オトーチャマ」
   「ココハサミデキッテェ オトーチャマ」
   卵焼きをかえそうと
   一心不乱のところへ
   あわててユリが駆けこんでくる
   「オシッコデルノー オトーチャマ」
   だんだん僕は不機嫌になってくる


   化学調味料をひとさじ
   フライパンをひとゆすり
   ウィスキーをがぶりとひと口
   だんだん小さなユリも不機嫌になってくる
   「ハヤクココキッテヨー オトー」
   「ハヤクー」


   かんしゃくもちのおやじが怒鳴る
   「自分でしなさい 自分でェ」
   かんしゃくもちの娘がやりかえす
   「ヨッパライ グズ ジジイ」
   おやじが怒って娘のお尻をたたく
   小さなユリが泣く
   大きな大きな声で泣く


   それから
   やがて
   しずかで美しい時間が
   やってくる
   おやじは素直にやさしくなる
   小さなユリも素直にやさしくなる
   食卓に向かい合ってふたりすわる


いやぁ、いいではないか。すばらしい。いかにも夕方の三十分ではないか。季節には触れられていないが、僕は晩春という空気で読んでいます。
うーむ。それから。もう一つだけ。

     そこにひとつの席が


   そこにひとつの席がある
   僕の左側に
   「お坐り」
   いつでもそう言えるように
   僕の左側に
   いつも空いたままで
   ひとつの席がある


   恋人よ
   霧の夜にたった一度だけ
   あなたがそこに坐ったことがある
   あなたには父があり母があった
   あなたにはあなたの属する教会があった
   坐ったばかりのあなたを
   この世の掟が何と無造作に引立てて行ったことか


   あなたはこの世で心やさしい娘であり
   つつましい信徒でなければならなかった
   恋人よ
   どんなに多くの者であなたはなければならなかったろう
   そのあなたが一夜
   掟の網を小鳥のようにくぐり抜けて
   僕の左側に坐りに来たのだった


   一夜のうちに
   僕の一生はすぎてしまったのであろうか
   ああ その夜以来
   昼も夜も僕の左側にいつも空いたままで
   ひとつの席がある
   僕は徒らに同じ言葉をくりかえすのだ
   「お坐り」
   そこにひとつの席がある


「ひとりの女に」という詩集に入っているのですが、僕は学生時代に現代詩文庫で読みました。「どんなに多くの者であなたはなければならなかったろう」という一行を初めて読んだときの心のふるえを今でもよくおぼえています。今となっては、なんであんなに感動したのか、とも思いますが、心をふるわせつつ「掟の網を小鳥のようにくぐり抜けて/僕の左側に坐りに」来る女の子をあれこれ想像していたのでした。ま、あなたも若かったし、僕も若かった。
次女も自分であれこれたくさん読んで、心をふるわせる一行に出会ってほしいと思います。