現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

春の雪と石垣りんの詩とはまぐりの潮汁と



昨夜遅く、窓から外を見ると、少し積もってきていたのだが、今朝起きたら、屋根には10センチほどの積雪。田んぼ道だと5センチほどでしょうか。
雪はじっとり湿っているので、木や竹の細い枝によくついていて、美しく、レノン号との散歩もなんだかロマンチックな気分でした(笑)。


昨日、蜆汁をいただいたと書いたのだが、書いてブログをアップしてから、石垣りんの「シジミ」という詩があったことを思い出した。


     「シジミ


     夜中に目をさました。
     ゆうべ買つたシジミたちが
     台所のすみで
     口をあけて生きていた。
     「夜が明けたら
     ドレモコレモ
     ミンナクツテヤル」


     鬼ババの笑いを
     私は笑つた。
     それから先は
     うつすら口をあけて
     寝るよりほかに私の夜はなかつた。


なるほど。いいねぇ。僕は、こういう詩も好き。そういえば、百姓になった頃には、よく詩を読んでいた気がする。給料取りだったころは、あれこれ事務的なことは事務室の人に、あれこれ処理しておいてもらっていたのに、百姓は自営業だから、役所にも自分でいって、あれこれ書類を書いたり提出したりしなくてはいけない。そうか、これが当たり前のことなんだ、と思ったことを思い出す。税金の申告もそうですね。「表札」という詩も、当時よく読んでいました。


     「表札」


     自分の住むところには
     自分で表札を出すにかぎる。


     自分の寝泊りする場所に
     他人がかけてくれる表札は
     いつもろくなことはない。


     病院へ入院したら
     病室の名札には石垣りん様と
     様が付いた。


     旅館に泊まつても
     部屋の外に名前は出ないが
     やがて焼場の鑵(かま)にはいると
     とじた扉の上に
     石垣りん殿と札が下がるだろう
     そのとき私はこばめるか?


     様も
     殿も
     付いてはいけない、


     自分の住む所には
     自分の手で表札をかけるに限る。


     精神の在り場所も
     ハタから表札をかけられてはならない
     石垣りん
     それでよい。


最後の四行。何度も、何度も繰り返し読んだことでありました。最近はしかし、防犯上のことから表札をあげない家も増えているということですが、ええ、それとこれとは、また別の話。精神の在り場所の話。


     「くらし」


     食わずには生きてゆけない。
     メシを
     野菜を
     肉を
     空気を
     光を
     水を
     親を
     きょうだいを
     師を
     金もこころも
     食わずには生きてこれなかつた。
     ふくれた腹をかかえ
     口をぬぐえば
     台所に散らばつている
     にんじんのしつぽ
     鳥の骨
     父のはらわた
     四十の日暮れ
     私の目にはじめてあふれる獣の涙。


この「くらし」は学校の授業で習ったのだが、中学の時だったのかな、高校の時だったのかな、誰に教えてもらったのかも覚えていないのだが・・・。たぶん、当時は「四十の日暮れ/私の目にはじめてあふれる獣の涙」の「四十の日暮れ」って、わかっていなかったと思うが、五十も半ばになってみると、あれもこれも食わずには生きてゆけないということに気がつくのが、四十の日暮れの時期なんだろうな、というようなことが、なんとなくしみじみとわかってきたのでありました(笑)。
なにもかも自分自身の努力のありよう、頑張りの結果、と、努力した人、頑張った人が思うのは当たり前のことですが、幸運、不運も含めて、誰かを、どこかを食い散らかして今の自分があるのかもしれないと、思いはじめる時がありますね。


と、せっかく石垣りんの魂を洗われるような詩をいくつか読んだ後で、あれなんですが、はまぐりの潮汁をつくってみました。
昆布で出汁をとったんですが、うーむ。子供たちにふるまったのですが、味がない、なんか薄い、みりんとか醤油とか入れたん?、こういうのって味をみながらつくるんではないの?などと散々な言われようでありました(笑)。おかしいなぁ、わりとおいしかったんだけどなぁ。
昆布をしいてはまぐりともども、水からゆっくり中火でやってみたんですけどね。塩を二つかみ、日本酒少々、という味付けだったんですけど・・・。うーむ。塩が足りなかったか。あ、でもはまぐりの身はうまかったみたいですけど。




以下、日本農業新聞の記事から。啓蟄の日に紹介し忘れたのだが、二十四節気の中では「啓蟄」って、どこか特別な感じが僕はするんです。百姓だからでしょうか。

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この記事は、昨夜、ワールドベースボールクラシックキューバ戦の快勝を観たからだろうか、三浦知良というサッカー選手は、彼が若いときにはあまり魅力的には思えなかったのだが、50歳をすぎて、当時の仲間がみんな引退していく中で現役選手にこだわって頑張っている姿には、やはり感じるものがあります。
と、書いて、にわかラグビー日本代表ファン、にわか広島カープファンになってしまう僕なので、三浦知良ファンもにわかなんですが。人間というのはアテになりませんな(笑)。


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今朝の記事。人間そのものがアテにならないのですから、国会議員の先生がアテにならないのは充分承知しているのですが、でも若い議員の先生が米づくりを勉強してくださるのは、たいへんうれしいことです。でも米づくりは、田植えと稲刈りだけではありませんので、そこんとこ、ヨロシク。えーっと、米づくり全般について勉強したいということでしたら、一緒に米づくりをするのにやぶさかではありません(笑)。