現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

大豆の播種とサワガニと「左国史漢」と『李陵』と『ザ・ロストシティ』

 朝から雨。なかなかの本降り。

 昨日は大豆の播種。朝から始めて15時まで。残すは苗代あとの24アールほどなのだが、ちと思うところあって夜から降るという雨が上がってから播くことにする。
 慣行栽培で除草剤を散布しながらの播種です。雨があまりたくさん降ると、せっかく散布した除草剤が流れてしまったり、土に大きく染み込んで、タネに悪さをしないか、いろいろ心配になる。でも今日の播種を逃すと、また田んぼが乾くまで時間もかかるかもしれず、播種を決行。


↑しかし、播種していたらカラスの大群がうちの圃場に、電線にとまってこちらの様子をみて、すきあらば、と降りてきます。見ていると大豆のタネを掘り返しているのではなくて、耕起してあわてて動き出す虫やミミズを狙っているようなんですが・・・。どうなんだろう。
↓このサワガニ、播種している時に尻水戸の水路で見つけたのですが、つかまえようとしたら、逃げる逃げる。石の下に潜り込んだり、けっこうすばしこかったのですが、捕まえたら、死んだフリのつもりなのか、少しも動かないのでした。


 それにしても、朝からよく降ってますが、梅雨だから仕方がないか。

 お昼に先日の0次検診で持って帰ってきて、一週間ほど測定した血圧計や血中酸素計、腕時計型のアクティブなんちゃらという機械と就寝時刻、起床時刻、それから夜中にトイレにいった回数などを記録した用紙などを返却にいく。
 ザッと一週間計った感じでは、血中酸素量も血圧も問題なさそう(血圧は以前一度ちょっと高い時があったのだが、今回はなんとなく60代の平均的な感じ)。


↑これ昨日、そういえば水稲の田回りの時に、一番最後に田植えした圃場の尻水戸のところで見つけたんですが、たぶんカエルの卵からオタマジャクシが抜け出た空のゼリーだと思います。オタマジャクシが出て行くとすぐに水に溶けちゃう感じなのが不思議。


 そういえば。
 恩師からいただいたメールに「左国史漢を読んでいると・・・」とありました。「左国史漢」という言葉を目にしたのは40年ぶりのような気がして、一瞬にして脳みそが若返ったような気持ちになりました(笑)。「左国史漢」なんて専門用語のような気もしますが、スーパー大辞林にはちゃんと載っていました。 “「春秋左氏伝」と「国語」と「史記」と「漢書」。代表的な歴史文学書として,文章家の必修書とされた。”  もちろん漢文を読むことが文学というか学問の正統だった時代のことなんでしょうけれど。必修書らしいです(笑)。噂ではギボンの『ローマ帝国衰亡史』もスバラシイらしいけれど(未読です。第1巻は1776年に刊行らしいです。)、司馬遷の『史記』もまたスバラシイですね。いや、読んだのはホンの一部だけです(笑)。ただこちらは紀元前に完成されていますから、なかなかあーた、比較することも難しいですが。あーた、四つのうち「史記」しか知らないの?他の三つはどうなの?と言われそうですが、中島敦 の『李陵』を読んだ記憶があるので、その影響でしょう。『李陵』の主人公はもちろん李陵将軍ですが、彼を弁護した司馬遷宮刑に処せられたことが書かれた小説です。『漢書』を書いた班固についても、小説になってますよね。えーっと、なんだっけな?井上靖の小説でしたっけ?あ、あれは班固の弟の班超だったか。『異域の人』でした。班超も武人ですね。
 中島敦井上靖開高健を読んでいた頃は、僕の人生でもっともたくさん読書ができた時期だったなぁ。いまではもう見る影もありませんが(笑)。

 そういえば、さっき観ていた映画『ロストシティ』に “苦なくして楽なし” というのが出てきた。もともとはラテン語らしいが、ほんとかどうかは知りません。アーロン・ニーとアダム・ニー監督『ザ・ロストシティ』(2022)は日ごろの疲れが出て、途中、眠ってしまったのでなんだかよくわからなくなってしまったが、ネット配信なので、眠ってしまったところをすぐ見直す。なるほど。でも、やっぱり映画としては、も一つというか、中の下かも(笑)。主演はサンドラ・ブロック。相手役のチャニング・テイタムの魅力が薄い気がするし、悪役(?)のダニエル・ラドクリフも妙な感じでした(笑)。
 『ザ・ロストシティ』はロバート・ゼメキス監督の『ロマンシング・ストーン 秘宝の谷』(1984)に似ていました。
 でも考えてみると、『ロマンシング・ストーン』も最初は東京は新宿の映画館で見たのでした。で、疲れていたのか途中で同様に10分ほど少し寝てしまったのも覚えている。ルノー4Lが出てきましたね。ふっと目が覚めたら、青いルノー4Lが崖から転がり落ちていくところだったのです。楽しく見終わってさて東京駅へ行こうとしたが、映画を観ているうちに、米原にいく最終の新幹線を逃してしまっていることに気がつく。やれやれ。それであわてて当時八王子で暮らしていた弟に連絡を入れて泊めてもらうことにしたとおもう。あれはなんだったんだろう?就職試験で何度か東京にいったので、その時か?なぜ新幹線で東京から実家に帰ろうとしたんだろう。1980年代半ば、富山から東京へ行くのは、信越本線を使った気がするが・・・。直江津経由で。碓氷峠とか横川駅の釜飯の駅弁とかがありました。はっきり覚えているのは、聖徳太子の一万円札から福沢諭吉夏目漱石の千円札に変わったばかりの頃で、特急電車の中で、隣のボックスのサラリーマンの二人連れが、会話していて「もう新札は見ましたか?昨日、銀行で新札が出てきたんですよ。」と福沢諭吉の新札を自慢げに電車の中で見せておられたんです。僕も新札は見たことなかったので、興味深く、チラチラ観ました(笑)。そうか1984年なら就職試験だったのかもしれませんね。
 うーむ。話があっちへ跳びこっちへ跳び、支離滅裂だが、まあ、いいです。私のブログが「左国史漢」級の歴史書になるわけでもなし(笑)。