現代田んぼ生活 辻井農園日記

滋賀県の湖北地方で完全無農薬有機栽培米の「コシヒカリ」と「秋の詩」と「みどり豊」を作っている辻井農園のブログです。安心して食べていただけるおいしいお米をつくっています。

田植えと下駄とわが誠の足らざるを尋ぬべし


28日(月)
朝から田植え。今日も菜の花緑肥の完全無農薬有機栽培米コシヒカリの田んぼが二枚ある。順調に田植え終了。
これであとは苗代をしまって、そこに田植えするだけになりました。


というわけで、午後はプール苗代の枠の木材やビニールやら、あれやら、これやらをしまう。
プール苗代は一度水を入れてこなして、そのあと乾かして水平にしたところなので、土がかちんかちんになっているので、まず水を入れてゆっくり柔らかくしてからロータリーで起していかないければいけない。


29日(火)
僕が予約注文のお米を精米したり発送したりしているうちに、父がトラクタで苗代あとをこなしておいてくれたので、その後を僕が尻踏みをする。


午後は尻踏みの手直し。と、思ったら30分間ほど、激しい雷雨。水を張った真っ平らの田んぼの中に鉄の鍬を持って立つなんぞは、僕に落ちてください、と雷さんに言うようなものだと慌てて田んぼから上がり避難。


夕方、尻踏みをするドライブハローを高圧洗浄機で水洗い。お、きれいになったわい、と思っていると思わぬところに泥が固まっていて、また泥だらけになってしまう、ということを数回繰り返したが、去年よりははるかにきれいになったんではないか。おそるべしリョウビの高圧洗浄機。


30日(水)
昨日尻踏み(田植え直前の代かき)をして、今日田植えが出来るかというと、まだ泥が落ち着いていなくて、水の中で泥がトロトロ状態なので、田植え機が苗を植えても苗が倒れてしまうので、まだ田植えは出来ないのでありました。苗代は砂地のわりと早く泥が落ち着くので、明日には田植えが出来るでありましょう。
昨日きれいに洗ったドライブハローを車庫の奥に片付け(一年間はお蔵入りです)、田回りをして、田んぼの出入り口や四隅できちんと植わっていないところの差し苗などをする。
午後は、ロータリーとトラクタそのものを高圧洗浄機で丁寧に水洗い。今回もきれいになったと思ったらどこからともなく泥が出てきて、もう一度やり直し、というのを繰り返したが、うひゃー、ピカピカだぜ。


夕方、田回りのついでに下駄を買いに街へでた。サンダルはそれこそどの店内にもあふれていたが、下駄はないのでありました。雪駄はあったのですが、下駄が見当たらず。
鼻緒のないサンダルはどうも苦手だ。サンダルならまだ草履の方がましで、ビーチサンダルは昔、いつも夏には愛用していたんだが、リラックスしすぎで、いささか品にかけるところがある。いつだったか、親戚から桐の下駄をいただいたら、これが、これが、なんとも軽くて、すこぶる具合がいいのです。もちろん、自分で買うやつは材や鼻緒に凝ったりは出来ませんから白地の桐に黒の鼻緒の普通の安いやつですが。
昔、志ん朝がマクラで下駄の話をしてました。下駄が高くなったと。ま、履く人がいない、作る人がいないんだからしょうがないと。ちょっと材の目や鼻緒の色合いに注文をつけようものなら、びくっりしちゃうほど取られちゃう、たかが下駄なのに、なんて。ま、真打ち中の真打ちの志ん朝の履く下駄と僕の履く下駄を比べるわけにもいきませんが、・・・。
長浜の街に下駄が売っていないとすると(いや、バイパス沿いの店をのぞいただけですから、売っているに違いないですが)、ネットで注文する。あれこれ眺めましたが、なるほど、ピンキリですわ。


Facebookでこんな言葉を教えていただきました。
「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして、己をつくし、人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」(西郷隆盛)有名な言葉だそうですが、僕は知りませんでした。
「天を相手にせよ」ですか。目の前の人の力量を推し量って受動的に相手に合わせて行動するのではなく、物事の本質とか自分のやりたいこととか、普遍の真理に向かって動きなさい、ということでしょうか。「己をつくし、人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」というのも出来そうでなかなか出来ないことですね。
しかし、西郷さんに「汝の誠の足らざるを尋ぬべし」なんて言われたら、立派な男になれそうな気がする(笑)。
世の中のお父さんは、こういうことやこういう言葉をどのように息子さんに教えているのだろうか。
うちの息子たちの場合、「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして、己をつくし、人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」と僕がうろ覚えの西郷さんの言葉を聞かせても、ポカンとしてそうな気がする。あるいは鬱陶しがるか。こういう文がすんなり心に落ちるかどうかは、やっぱりその人の力量によるような気がするなぁ。